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高野山壇上伽藍


法起寺三重塔


天岩戸神社の巨石


伝統的建築物保存地区
今井町


飛鳥路 謎の石造物めぐり
石人像



伝統的建築物保存地区
宇陀松山地区


熊野本宮大社
八咫烏の幟


那智の滝


興福寺


奈良町


彦根城

嵯峨嵐山
嵐山渡月橋→天竜寺→野宮→嵯峨釈迦堂→大覚寺→大沢池

嵐山から真っ直ぐに大覚寺に向かう道を歩いた。
栃木県小山市から大阪に引っ越してきてさっそく京都の観光に出かけたのだ。春の暖かい日差しの中、ツツジが咲き誇るお寺をめぐって歩いた。やっぱり京都はすばらしい。

二条城
二条城は徳川家康が御所の警護と将軍宿泊のために築いた城であるが、家光が大拡張工事を行って、今の形になったのだ。
大手門をくぐるとすぐに唐門があるが、この豪華な門は伏見城から移築したもの。大きな切妻屋根が連なる二の丸御殿は大政奉還が発表されたところ、そして二の丸庭園は小堀遠州が大改造して今の庭になったらしい。

日吉大社
比叡山登山口→二宮橋→猿の霊石→東本宮→白山宮→宇佐宮→西本宮→京阪坂本駅
日吉大社は2100年ほど前、崇神天皇によって創祀された神社で、全国3800余りの日吉・日枝・山王神社の総本宮なのだ。

金剛峯寺・壇上伽藍
金剛峯寺→蛇腹道(東塔→三昧堂→大会堂→愛染堂→不動堂)→壇上伽藍(根本大塔→金堂→御影堂→准胝堂→孔雀堂→西塔→御社→山王院本殿社)

総本山の金剛峯寺から壇上伽藍に参拝した。壇上伽藍は堂塔が立ち並び、さすがに高野山開山時から中心とされた寺域である。

近つ飛鳥
近つ飛鳥博物館→推古天皇陵→二子塚古墳→長科神社→小野妹子の墓→竹内街道→孝徳天皇陵→用明天皇陵→叡福→西方院

近つ飛鳥という地名も初めて知ったのだが、飛鳥から二上山の山並みを西に越えた河内にあるのだ。古代の歴代の天皇陵があることからすると、死者の地だったのではないかと思ってしまう。

當麻
二上山ふるさと公園(国見の丘)→石光寺→高雄寺→厳島神社→傘堂→中将姫墓塔→当麻寺→當麻蹴速供養塔
二上山の麓にある當麻の里を散策することにした。まず二上山ふるさと公園の国見の丘に登ると當麻の里が一望できた。寒牡丹の咲く石光寺や傘堂などを巡って、當麻寺に着く。

斑鳩の里
駐車場→法起寺→山背大兄皇子の墓→法輪寺→中宮寺→法隆寺→夢殿
斑鳩の里では法隆寺に行くことはあって、斑鳩三塔と呼ばれる法起寺・法輪寺まで含めて散策することはほとんどないのだ。斑鳩の里を、のんびり散策するというのは、かねてからの私の夢で、今回それを実現させることにした。

続・謎の石像物めぐり
天武・持統天皇陵→鬼の俎→鬼の雪隠→欽明天皇陵→吉備姫王陵→猿石→神武天皇陵

前回の飛鳥めぐりで、時間がなくて省いてしまった石像物めぐりの続きをやった。吉備姫王陵の猿石はなんとしてももう一度見たかったのだ。
次の斑鳩の里に向かう途中に神武天皇陵があったので、ここにも立ち寄ってしまった。

畝傍山
近鉄畝傍御陵前駅→殉国の碑→若桜友苑→畝傍山山頂→畝火山口神社→安寧天皇稜→懿徳天皇陵→深田池→橿原神宮→久米寺→近鉄橿原神宮前駅

大和三山の二つ目、畝傍山に登る。この山の麓にあるのが、神武天皇が初代天皇に即位した地といわれる橿原神宮である。神社参拝は後にして、まず山頂をめざした。

天香具山
今井町→藤原宮跡→畝尾都多本神社→土原宮発掘調査資料室天香山神社→天香久山山頂→天岩戸神社→紀寺跡→本薬師寺跡
奈良の平城京に遷都される前の16年間、日本の都だったのが藤原宮である。この都を取り囲む三つの山が大和三山である。まず、天香久山に登った。

今井町
まちなみセンター華甍→北尊坊通(吉村家→三宝庵→山尾家)→中町筋(今井景観支援センター→旧米谷家→音村家→上田家)→本町筋(今井まちや館→今西家)→西口門跡→春日神社→旧永福寺観音堂→御堂筋(豊田家→称念寺→夢ら咲長屋中橋家)→中尊坊通(河合家→高木家)→華瓦
今井町は、中世末期に寺内町として成立し、江戸中期までに南大和地方に商業の中心地として発展してきた町である。

飛鳥路2 謎の石造物めぐり
飛鳥水落遺跡→飛鳥資料館→飛鳥坐神社→飛鳥寺→蘇我入鹿首塚→亀型石造物→酒船石→石舞台→橘寺→亀石→天武・持統天皇陵
飛鳥路散策の後半は、飛鳥に点在する謎の石造物をめぐることになる。これらの石造物は流水施設であったり噴水であったりで、飛鳥は本当に「水の都」だったのだ。松本清張はこれらの石造物は拝火教の祭祀にかかわるものだと唱えている

飛鳥路1 万葉の道
飛鳥歴史公園→高松塚古墳館→近鉄飛鳥駅→近鉄橿原神宮前駅→剣池→小墾田宮跡→向原寺→雷丘→甘樫丘→飛鳥水落遺跡
飛鳥を始めて散策したのは私がまだ二十歳の頃である。今回はその時と同じコースを歩いて見ることにした。あの頃とはずいぶん変ってしまっていて、めちゃくちゃにきれいに整備されていた。

宇陀松山地区
黒門→植田家住宅→平五薬局→森田家住宅→薬の館→まちづくりセンター(旧内藤家住宅)→大願寺

「重要伝統的建築物保存地区」の宇陀松山地区を散策した。伝建とは歴史的に価値の高い建造物そのものだはなくて、建造物をとりまく環境も含めエリアごと文化財として保存対象とするものなのだ。この宇陀松山地区は2006年に指定されたのだ。

大宇陀
道の駅大宇陀→阿騎野人麻呂公園→かぎひろの丘万葉公園→阿紀神社→徳源寺(織田家4代墓)→光明寺→松山西口関門(黒門)

大宇陀は万葉の里というイメージが強いのだが、松山藩3万石の城下町でもあったのだ。散策はまず万葉公園から天照大神を祀る阿紀神社を参拝し、それから松山藩初代藩主だった織田信雄の墓がある徳源寺とめぐった。

熊野本宮大社
備崎橋→大斎原駐車場(音無の梅)→熊野本宮大社
大峰山奥駈け道を吉野から歩き始めて、やっと目的地の熊野本宮大社にたどり着いた。途中、台風で2日間も停滞したので、11日目のことである。この日は私のゴールを祝うかのように真っ青な青空が広がる快晴であった。

吉野中千本から金峯神社へ
竹林院→桜展示園→大塔宮仰徳碑→佐藤忠信花矢倉→世尊寺跡展望台→吉野水分神社→丈之橋跡→高城山登り口→牛頭天王社跡→高城山山頂→金峯神社→源義経の隠し堂
世尊寺跡の展望台からは蔵王堂を始めとする吉野山の全貌を眺めることができる。桜が満開だったら絶景なんだろうと思う。

吉野下千本から中千本へ
近鉄吉野駅→ロープウェイ駅→七曲遊歩道→ロープウェイ山上駅→黒門→銅の鳥居→蔵王堂仁王門→蔵王堂→吉野南朝跡→後醍醐天皇導稲荷天神
吉野といったら桜で、全山が桜の花におおわれるのだが、残念ながら私が訪れたのは夏である。

青岸渡寺と熊野那智大社
烏帽子山登山道→展望舞台→青岸渡寺本堂→熊野那智大社→樟御神木→山門→孔子廟→大門坂(唐斗石→楠の巨木→多富貴王子→夫婦杉→鏡石→振ヶ瀬橋)→大門坂入り口→曼荼羅公園

那智の滝といったら、鮮やかな朱の三重塔の奧にまっすぐに流れ落ちる姿が紹介されることが多いのだが、その展望は青岸渡寺から眺めたものなのだ。

那智の滝
那智の滝の高さは直下で133m、銚子口の幅は13m、滝壺の深さは10mで、世界遺産に登録されている日本の代表的な滝でである。烏帽子山に登るためにやってきたのだが、滝が大好きな私としては、これを見逃すことはできない。滝の入り口の駐車場に泊まって、朝一番に滝の見物に行った。さすがにすばらしい滝であった。

興福寺
猿沢の池→九重の石塔→三重塔→南円堂→北円堂→中本堂→東金堂→五重塔→奈良国立博物館
興福寺は平城遷都のときに藤原不比等が飛鳥にあった厩坂寺を移したものである。なによりも、この寺院に収蔵される仏像がすばらしい。国宝館には阿修羅像や十大弟子立像があって、私は一日中でも眺めていてしまいたくなるのだ。

奈良町散策
宗道天皇社→元興寺塔跡→奈良町資料館→庚申堂→元興寺小塔院→元興寺極楽坊
奈良町というのは興福寺の南に広がる町並みで、江戸時代はここが奈良の中心街だったのだ。今も格子の古い民家が残っていて、楽しい散策ができる。

安土城を散策
大手門跡→虎口跡→羽柴秀吉邸跡→前田利家邸跡→総見寺→黒金門跡→仏足石→信長公本廟→本丸跡→天主台→三重塔→仁王門→羽柴秀吉邸跡→大手門跡
織田信長の築いた安土城は日本で始めて天守閣を持つ城だった。信長というのは天才としかいいようがない。

彦根城 彦根城
国宝彦根城は彦根藩井伊家の城である。もちろん、安政の大獄とか桜田門外の変で有名な井伊大老の城なのだ。
いつも、新幹線で彦根を通るたびに、いつかは訪れたいと思っていたお城なのだ。
昔のままの城郭が残っていて、すばらしいお城である。

近江八幡をめぐる 近江八幡をめぐる
近江八幡は近江商人の町である。
新町通りには、往時の古い商家が軒を並べ、その中を歩いて行くと、昔にタイムスリップした感じになる。
また、八幡堀に沿って歩いて行くと、白壁の蔵が並び、水郷の町を感じさせる。近江八幡は、是非一度は訪れたいである。





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