万葉公園から引き返して、田んぼの間に続く細い道を行くと阿紀神社に着く。伝説では神武天皇が熊野からこの大宇陀まで進軍してきたとき、この地で御祖の神、天照大神を祀ったのだという。
日本書紀では、もともと天照大神は大和三輪山の麓の桧原神社に祀られていたのだが、第11代崇神天皇の命によって、別の場所に移すことになったのだ。その命をうけたのが倭姫で、倭姫が鎮座させたのがこの地だったのである。でも、その後、倭姫はさらに鎮座にふさわしい地を求めて旅をし、最終的には伊勢まで行き天照大神を祀ったのだ。現在の伊勢神宮である。
さすがに由緒ある神社だけあって、境内は広くて立派なたたずまいである。本殿は伊勢神宮と同じ神明造りで、伊勢神宮と同じく南向きにたてられているのだ。
境内にはりっぱな能舞台があった。6月にはここで薪能が開催されるのである。
阿紀神社からは徳源寺をめざす。本郷川に沿って北上して行き、振り返ると田んぼの向こうにかぎひろの丘が見えた。紅葉に囲まれた広い台地であった。
道には「近畿自然歩道」の指導標が立っていて、これに従って歩いて行く。
東屋の前に着くと、その先には急な石段があった。これが徳源寺への参道で、長い石段を登り切ると境内である。境内は紅葉真っ盛りであった。
このお寺の本堂はまったく寺院らしくなくて、普通の民家のようだった。紅葉を眺めながら境内を散策すると、あちこちに苔むした石仏が置かれている。これがすごくいい。
徳源寺は松山藩初代藩主織田信雄の菩提を弔うために、2代藩主高長が建立した寺なのだ。(織田信雄というのは、あの織田信長の次男である。)そんなわけで、この寺には織田信雄から織田家4代の墓があるのだ。
これを参拝することにする。樹林の中、広い石段を上って行く。上りきったところに墓所があって、五輪塔が4基並んでいた。これが信雄・高長・長頼・信武の墓である。古木が茂り、しんと静まりかえった墓所であった。
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