2008年11月28日
車をどこに停めようかと悩みながら走っていたら、葉室バス停の近くに駐車帯があった。
葉室公園の入口には「近つ飛鳥散策マップ」があった。参考にしようと思ったが縮尺があらくてとても使えない。
散策路を歩いて行くと二上山が間近にそびえていて、そこにあるキレットが竹内街道が通る竹内峠らしい。
散策コースに立つ電柱には太子町の名所がイラストで描かれている。散策路はちゃんと整備されているらしい。
広い車道に出てすぐに右折すると、推古天皇磯長山田陵の上り口があった。見上げると石垣の上に御陵が見える。
推古天皇は蘇我馬子が擁立した我が国初の女帝で、この天皇の摂政が聖徳太子である。推古帝は蘇我稲目の孫で炊屋姫といい、敏達天皇の皇后だったのだ。この御陵には敏達天皇と炊屋姫の間に生まれた竹田皇子も一緒に葬られている。推古天皇としてはこの竹田皇子に天皇位を継がせたかったのだが、夭折してしまったのだ。
この御陵から少し行くと二子塚古墳がある。7世紀中頃の古墳だが、二つの墳丘を連結した「双円墳」という特異な形式なのだ。墳丘に上ると二つの盛り上がりがあって、片方は大きく窪んでいた。
二子塚古墳から15分ほど東に行くと、すごく長い石段の前に着く。これは伊弉諾尊の子、級長津彦命ら八柱を祀る長科神社なのだ。広い境内の奥にりっぱな社殿が建っていた。
ここからさらに急な石段を登ると「小野妹子之墓」に着く。紅葉がすばらしくきれいであった。
小野妹子は聖徳太子が派遣した遣隋使として有名で、隋には3度も渡っているのだ。
聖徳太子といえば、隋の煬帝が激怒したという「日出處天子致書日沒處天子無恙…」という国書を送ったことが有名なのだが、この国書を持参したのが小野妹子といわれる。言うまでもないことだが、小野妹子という名は女性みたいだが、れっきとした男である。
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