二上山ふるさと公園(国見の丘)→石光寺→高雄寺→厳島神社→傘堂→中将姫墓塔→当麻寺→當麻蹴速供養塔

二上山の麓にある當麻の里を散策することにした。まず二上山ふるさと公園の国見の丘に登ると當麻の里が一望できた。寒牡丹の咲く石光寺や傘堂などを巡って、當麻寺に着く。仏像などすばらしいのだが、一番肝心の當麻曼陀羅は暗くてどんなものなのかまったくわからなかった。


 二上山ふるさと公園
二上山ふるさと公園入口


国見の丘への急な階段


頂上展望台の「大津皇子鎮魂の鐘」

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20081127

今日は二上山の麓の當麻の里を散策することにした。まず、「當麻町二上山ふるさと公園」の駐車場に車を停めて、散策を開始した。
せっかくなので、この公園の中を散歩してみた。私はこの公園の展望台に登りたかったのだ。
公園の中を歩いて行くと、すさまじく急で長い石段が正面に見えてきた。これが国見の丘展望台への階段なのだ。ともかくめちゃくちゃに長い。
石段には手すりがつけられていたので、これにすがって急登する。最初は緩やかだったが、どんどん急な登りになってゆく。
ようやく頂上に着くと、その展望テラスには銅鐸が下げられていた。「大津皇子鎮魂の鐘」と名付けられている。
大津皇子は天武天皇の第三皇子なのだが、皇位継承権をめぐる陰謀で、謀反の疑いをかけられて処刑されてしまったのだ。この大津皇子の墓は二上山山頂にある。
展望テラスの足下は方位盤になっていた。展望はすばらしい。南大和一望できるのだ。これから行くつもりの当麻寺の三重の塔も小さく見ることができた。

帰りの急な石段の下りはけっこう怖かった。




 石光寺
路傍に石仏


石光寺の境内


境内に咲く寒牡丹


公園から外に出るとため池があって、少し行くとお堂があった。ここには近畿自然歩道の指導標がたっている。

指導標に従って集落の中を歩いて行くと、石光寺に着いた。寺門の前に立つ石柱には「日本最古 白鳳弥勒石仏の寺」と刻まれていた。
縁起によると、天智天皇の頃(670年頃)に、このあたりの地中から光が放たれているので、天智天皇が掘らせてみると弥勒三尊の石像が現れたのだという。天皇は役行者に寺を建立させて、弥勒如来を本尊として奉り、石光寺と名付けたのだ。また、聖武天皇の頃(750年頃)、中将姫が當麻曼荼羅を織ったとき、ここの井戸で蓮糸を洗い、五色に染めて桜の木にかけて乾したという。境内にはその「染めの井戸」と「糸かけ桜」があるのだ。(糸かけ桜は今は枯れてしまってその残骸だけが展示されている。)
さらに、この寺は花の寺でも有名で、今の時期は寒牡丹を見ることができるのだ。
境内に入ると、庭には回遊路があって、藁帽子の中に咲く牡丹を見ながら散策できるのだった。また、伝説の「染めの井戸」もあった。
私が一番観たかったのは、掘り出されたという白鳳時代の弥勒石仏なのだが、御開帳は一月に限られているので観ることはできなかった。すごく残念。



 高雄寺〜傘堂〜中将姫墓塔
高雄寺の焼失前の観音堂


傘堂


中将姫の墓塔


石光寺からは山に向かって歩いて行く。正面に聳えるのが二上山である。

左手に石垣があって、そこに鐘楼が見えた。ここが高雄寺なのだ。
役行者が開いたという古刹で、「高雄千軒」と呼ばれるほど栄えたこともあるのだが、後に大火災にあって焼失、明治時代には浄土真宗本願寺派の末寺になってしまったのだ。境内には本尊薬師如来坐像を奉る薬師堂と聖観音立像を奉る観音堂が残されていたのだが、れも最近焼けてしまったようで、今、境内に残るのはコンクリート造りの収蔵庫だけなのだ。
境内には礎石群があって、そこには観音堂跡と刻まれた新しい石碑が建っていた。
高雄寺の隣には厳島神社がある。鮮やかな赤の社があって、拝殿の中には絵馬がたくさん架かっていた。
さらに山側に歩いて行くと、傘堂があった。
二上山登山道との分かれ道に立つお堂で、延宝2(1674)、郡山藩主本多政勝の慰霊のために郡奉行吉弘統家が建立したのだ。
傘堂から緩やかに下って行くと、集落の中に墓地があって、その入口近くに立派な十三重石塔が立っている。これが中将姫の墓塔であった。當麻曼荼羅を織った中将姫は、聖武天皇に仕えた右大臣藤原豊成の娘で、16歳で仏門に入って、17歳のときに當麻曼荼羅を織ったのだという。この暮塔に手を合わせてから、いよいよ当麻寺に参拝する。



 當麻寺
当麻寺黒門(北門)


当麻寺境内


東塔


當麻蹴速供養塔


中将姫の墓塔から南に歩くと当麻寺の北門に着く。

石段をあがって境内に入ると本堂、講堂、金堂の伽藍が並んでいる。山の斜面には東塔も見える。かって私がこの当麻寺を訪れたのは二十歳の頃だったのだが、その記憶とはずいぶん違う。もっと小さなお寺だったという印象なのだ。
まず、本堂に参拝した。ここには中将姫が蓮糸を染めて織ったという「當麻曼荼羅」があるのだ。でも、この国宝の曼荼羅は堂内が暗い上に、金網越しで絵自体がすすけていてよく見えなかった。
金堂には白鳳時代の弥勒如来像や四天王像があって、これはすばらしかった。また、講堂には藤原時代の阿弥陀如来像や菩薩像があって、これまたすばらしい。500円の拝観料の価値は十分にあった。
最後に国宝の三重塔を観に行った。金堂からまっすぐ南に延びる参道を行き、右の細い道の奥に東塔がたっている。この東塔は天平時代のもので、高さは22.21mである。
参道を引き返して、本堂の前から南に延びる参道を行くと突き当たりに西塔が立っている。こちらは天平末期から貞観時代の建立と推定されていて、高さは25.15mである。どうして高さが違うんだと不思議に思ってしまう。
境内の散策を終えて、仁王門から外に出た。まっすぐ東に歩くと近鉄当麻寺駅に着けるのだ。仁王門のすぐ先は門前町らしい古い趣のある町並だった。
国道を横断したすぐ先に大きな五輪塔があった。
相撲の始まりは、第11代垂仁天皇の前で執り行われた野見宿禰と當麻蹴速の対戦だったという。そのとき當麻蹴速は負けてしまったのだが、その追善に造られたのがこの五輪塔なのだ。
国道165号線に戻って、これを北に2kmほど歩くと車を停めた二上山ふるさと公園である。
国道から西に連なる山並みを眺めると、麓に当麻寺の三重塔を観ることができた。


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