近畿の旅 大和三山を登る
大和三山


近鉄畝傍御陵前駅→殉国の碑→若桜友苑→畝傍山山頂→畝火山口神社→安寧天皇稜→懿徳天皇陵→深田池→橿原神宮→久米寺→近鉄橿原神宮前駅

大和三山の二つ目、畝傍山に登る。この山の麓にあるのが、神武天皇が初代天皇に即位した地といわれる橿原神宮である。神社参拝は後にして、まず山頂をめざした。山頂にはちゃんと三角点があったので、立派な山である。


 畝傍山登山口へ
近鉄畝傍御陵前駅


橿原神宮の鳥居


殉国の碑

BACK 天香具山

2008年11月25日

本薬師寺跡を見て、街の中に入ると近鉄畝傍御陵前駅に着いた。近鉄の改札は地下にあって、この地下道を通って西側に出る。橿原考古学研究所の高いビルをみて、神社に向かって歩いて行く。広い道路に出ると正面に橿原神宮の鳥居が立っていたが、私は神社参拝の前に畝傍山に登ろうと思っている。
鳥居の右に「体育館前」のバス停があった。

ここから林の中の遊歩道をたどると、殉国の碑の前に着く。ここに畝傍山の登山口があるのだ。
橿原神宮は初代天皇の神武天皇を祀る神社である。天皇陛下万歳といって散っていった兵士たちの霊も祀っているのだ。この殉国の碑の横には瑞鶴の碑もあった。瑞鶴というのは帝国海軍の航空母艦で、真珠湾攻撃や珊瑚海戦にも参加しているのだが、マリアナ沖海戦までは一発も被弾しなかったという幸運な空母だったのだ。でも、結局は1944年に沈没してしまうのだが…。でも、どうしてここに特別に瑞鶴の碑があるのだろう。この二つの碑の間には国旗があげられていた。
この碑からさらに進むと若桜友苑があって、そこに登山口があった。



 畝傍山
畝傍山登山口


道には露岩が現れる


畝傍山山頂


展望が広がる


樹林の中を緩やかに登って行く。畝傍山の右をトラバースするように道が続く。
6分ほど歩くと、道には露岩が現れた。すぐに普通の道に戻ったのだが、300mほど先からは露岩の急な登りになった。登山らしくなってきた。
露岩は苔むして緑色になっている。滑るので、足運びは慎重にする。

登山口から15分ほどで、山頂直下の分岐に着いた。まっすぐに進むと、畝傍山口神社に下って行くので、ここでは右折して山頂を目指す。
この分岐には畝傍山国有林の看板がたっていた。大和三山のすべてにこれと同じ看板がたっているのだ。

ここは歴史的にも有名な大和三山の一つで、標高199.2m、面積41ヘクタールの死火山です。東部裾野に神武天皇陵、北西部に綏靖塚、南西部に安寧天皇陵、南部に懿徳天皇陵、南東部に橿原神宮があります。

香具山は 畝傍を愛しと 耳成と
相争ひき神代より かくにあるらし 今昔も
然にあれこそ うつせみも 嬬を争ふらしき
中大兄皇子

右折して樹林の中を緩やかに登ると、山頂広場に着いた。広場の入口右に石の基壇があった。何か祠の跡なのだろうと思う(畝火山口神殿跡であった)。広場の真ん中にはうれしいことに三角点があった。三角点があったら、立派な山だと思っている。
山頂は樹林に囲まれているのだが、西側に開けたところがあって、そこからは葛城山と金剛山を望むことができた。さらに山頂をぐるりと回ってみたら、耳成山が見えるところもあった。今日は橿原と飛鳥の北部を散策したのだが、大和三山のうちの二つに登ってしまった。そうすると、残りの耳成山も登ってみたくなる。日程を少し考えてみようと思った。
三角点と一緒に記念写真を撮って下山した。
まだ
14時半を少し過ぎたばかりである。このまま登って来た道を引き返すのはつまらないので、畝傍山口神社に下ることにした。



 安寧天皇陵
橿原神宮と畝傍山口神社の分岐に着いた


畝火山口神社の大鳥居


万葉歌碑


安寧天皇稜


山頂直下の分岐を西に向かって下って行く。本当に緩やかな下りで、登りとは大違いであった。鋭角に左折して、再び緩やかに下って行く。方向としては引き返して行くような感じなのだが、徐々に右にカーブしていって、いつのまにか西に向かって下るようになった。
山頂の分岐から
7分ほど下ったところに指導標がたっていて、左に行くと橿原神宮で右が畝火山口神社である。畝火山口神社に向かう。(ここでおとなしく橿原神宮に下るべきだった。道がわからなくてひどい目にあうのだ。)
分岐から5分ほど下ると、樹林から抜け出して赤い鳥居の前に着いた。ここが畝傍山口神社であった。かなり大きな神社で、境内は紅葉がすごくきれいであった。
本殿の横には祓戸大神の祠が祀られていて、万葉歌碑もあった。

 思ひあまり 甚もすべ無み 玉だすき
 畝火の山に われは標結ふ
思いあまってなにともしかたがなくなり、私は畝傍の山に占有のしるしのシメナワを結うことである


という、作者不詳の歌である。
14
50分になっていた。
こここから橿原神宮を目指すのだが、持っているガイドブックではちょうど地図がとぎれていて、道がよくわからない。でも、神社は東にあるのだから、ともかく東を目指して歩いて行くことにする。ただし、東には畝傍山が高く聳えているので、これを南側山麓を回り込んで行かなければならない。
まず南に向かって、それから東に向かう道を見つけて歩いて行く。集落や新しい住宅地の中を行くのだが、ときどき行き止まりになって引き返さなければいけなかった。
試行錯誤を繰り返したが、15分ほどで安寧天皇陵の前に着くことができた。立派な御陵であった。
でも、この天皇陵は私の地図には書かれていなくて、ちゃんと橿原神宮に着けるのか心配になってきた。



 橿原神宮
懿徳天皇陵


深田池


橿原神宮内拝殿


東に向かう細い道を行くと、右には御陵のような岡が見えてきて、さらに行くと公園のような広場があった。ベンチなども置かれた広場なのだが、その先に道はなかった。引き返えそうとしたら畑の間に細い踏み跡がある。この先に車道が見えるので歩いて行くと、右に御陵の正面があった。行ってみると、これが懿徳天皇陵であった。この御陵は私の地図に書かれている。ようやく地図の範囲に戻ってきた。

あとは磁石と地図で迷うことなく歩くことができる。
行く手に近鉄の踏切が見えて来ると、左に橿原神宮の鳥居があった。この参道を歩いていったら本殿に着けるはずである。参道は広くて、けっこうたくさんの人が歩いていて、バイクや自転車も通るのだ。歩いて行くと右に深田池が見えてきた。ここまで来たら本殿はすぐである。
玉砂利の広い参道に出る。南神門をくぐって、すごく広い玉砂利の境内に入る。この広場の左に本殿があるのだ。私たち一般人が参拝するのは外拝殿からである。この外拝殿から拝するのは内拝殿で、その後ろに弊殿、その後ろに本殿があるのだ。
ともかく外拝殿で手を合わせた。
時間はも15
時半になっていた。
最後に久米寺にお参りしようと思っているのだが、時間がなくなってきた、急がなければいけない。今井町の駐車場は17時に閉鎖されるはずである。



 久米寺
踏切を渡って久米寺へ


境内の鐘楼


久米仙人


橿原神宮前駅


南神門から出て、東に続く広い参道を行く。大きな鳥居を二つくぐると有料駐車場があって、そこを右折する。宝物館の前を過ぎてさらに歩いて行くと、近鉄南大阪線の踏切を渡る。すごく小さな踏切なのだが、これを渡ったところに久米寺の石柱がたっていた。もうここから久米寺の境内である。

久米寺というと久米仙人が開いた寺だという伝説がある。久米仙人は修行によって空を飛ぶことができたのだが、空から女人の肌を見て墜落してしまったという。色香に迷うと神通力は失われるのだ。未熟者め…。
でも、聖徳太子の弟の来目皇子が創建したというのが本当らしい。
さらにこのお寺は弘法大師が初めて真言密教を布教したことから、真言宗発祥の地ともいわれているのだ。
境内に入ったら、左にキンピカの大日如来像があった。この派手派手さはなんなのだと思ってしまう。
鐘楼の横に久米仙人の石像があった。でも、比較的新しいものである。
境内には重要文化財の多宝塔がある。私はこれを見たかったのだ。弘法大師はこの多宝塔の中で初めて真言密教を説いたというのだが、今ある多宝塔は幕末に、京都の仁和寺から移築したものである。
境内には鮮やかな紅葉もあって、訪ねたかいは充分あった。
山門から出ようとしたら、そこにすさまじく大きな礎石があった。大塔礎石と書いてあるのだが、どんな大きな塔が建っていたのだと思ってしまう。
時間は1550分になっていた。急いで今井町に引き返さなければいけない。駐車場から出れなくなるかもしれない。


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