近畿の旅 大和三山を登る


今井町→醍醐池→藤原宮跡→畝尾都多本神社→土原宮発掘調査資料室→舒明天皇歌碑→天香山神社→天香久山山頂→イザナミ神社→天岩戸神社→紀寺跡→本薬師寺跡→近鉄畝傍御陵前駅

奈良の平城京に遷都される前の16年間、日本の都だったのが藤原宮である。この都を取り囲む三つの山が大和三山である。まず、天香久山に登った。香具山は香久山とも表記されて、どっちが正しいのかよくわからない。


 藤原宮
醍醐池


持統天皇の歌碑


特別史跡藤原宮跡


大極殿跡


藤原宮調査発掘資料室

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20081125

今井町の古い町並みを散策した後は、藤原京に向かった。車が頻繁に行き交う国道24号線の高架の下をくぐって、国道165号線を行く。藤原宮跡に着いたのは11時30分頃。藤原宮跡はまるで広いグランドのようであった、
車道挟んだ向かいに醍醐池がある。池の畔には持統天皇の歌碑があった。

 春過ぎて 夏来るらし 白たへの
  衣乾したり 天の香具山


いよいよ藤原宮跡に入る。入り口には「特別史跡藤原宮」という石標がたっていた。藤原宮は持統天皇の6年(694)に築かれた都で、奈良の平城京に移るまでの16年間は、ここが日本の首都だったのだ。
藤原宮は唐の長安を真似て造られた日本初の本格的宮城で、一辺1kmの正方形の中に内裏・大極殿・朝堂院が北から南に並んでいたのだ。天皇が政治や儀式を行なう大極殿は間口が45m、奥行き21m、高さ25mで、当時は日本一大きな建物だったのだ。
広いグランドの中に杜があって、ここが大極殿跡であった。林の中の大極殿に上がって見たが、石柵に囲まれた大きな木があるだけであった。
グランドの一部に赤い円柱が並んでいて、これは朝堂院の柱列を復元したものなのだ。柱だけではなかなかイメージが湧かないのだが…。

藤原宮跡のグランドを東に歩いて行く。この道でいいのか心配しながら行くと広い車道に出て、これを渡った所に「畝尾都多本神社」があった。
お参りしようと思って参道を行くと、桧隈女王の作の万葉歌碑があった。

 哭澤の神社(もり)に 神酒(みわ)すゑ祷祈(いの)れども
  わご王(おおきみ)は 高日知らしぬ


哭沢の社に神酒を供え、回復を祈ったけれども、その甲斐なく高市皇子はお亡くなりになったという意味らしい。
神社本殿は林の中にひっそりと鎮まっていた。
神社のすぐ隣が「藤原宮発掘調査資料室」である。ここでは飛鳥・藤原で発掘された土器や瓦が展示されているのだ。見学したが、無料であった。



 天香久山
香久山観光トイレ


舒明天皇の歌碑


天香山神社


天香久山山頂


イザナミ神社


天岩戸神社



藤原宮発掘調査資料室の少し先に新しいトイレがあって、そこが香久山の登山口であった。

畑の間の細い道を上がって行くと、天理教の神殿があって、そこからさらに急な道を上ると分岐に着いた。ここには名勝大和三山香具山という説明板がたっていて、その横に万葉歌碑がたっている。舒明天皇の歌である。

 大和には群山あれどとりよろふ
 天の香具山登り立ち國見をすれば
 國原は煙立ち立つ海原は鷗立ち立つ
 うまし國そ蜻蛉嶋大和の國は


ここからは耳成山と畝傍山を見ることができた。
歌碑前からまっすぐに登ったら山頂なのだが、まず天香山神社に向かう。左のトラバース道を行くと、ほとんど平坦な道であった。どちらかというと下っている感じである。
3分ほどで鳥居が見えてきた。これが天香山神社である。境内には柿本人麻呂の歌碑があった。

 ひさかたの 天の香具山 このゆふべ
  霞たなびく 春立つらしも


神社の本殿の右にすごく細い道がある。地図ではこれが山頂に向かう道のはずなのだが、本当にこの道でいいのか…と疑いたくなる道である。
少し上ると指導標があったので安心した。
鬱蒼とした樹林の中に、木の葉が積もる階段の道が続く。すごく急な登りが続いて、これは本当の登山だと思った。
5分ほど登ると傾斜は緩やかになって、行く手が明るくなると万葉の森の分岐があった。そのすぐ先が山頂であった。
山頂には国常立神社の小さな社があった。
三角点はないかと探したが見つからなかった。樹林の中で展望はないのだが、東側が覗けるところがあって、そこには山の名前を書いたイラスト板があった。でも、木がジャマをしてほとんど見えない。それでも、畝傍山を見ることができた。イラストの下には、さっきみた舒明天皇の歌がかかれていた。
山頂から階段の道を下ると平坦地に着いて、そこに指導標がたっている。ここから右に下ると、最初の舒明天皇の歌碑のある分岐に戻れるようである。
ここには香久山国有林という奈良森林管理事務所の標識がたっていた。

ここは歴史的にも有名な大和三山の一つで、標高が152mあります。耳成山・畝傍山が孤立峰であるのに対し、香久山は多武峰、音羽山につづく龍門山塊の一部で、一番山容が目立たず、面積も9ヘクタールとわずかですが、三山の中ではもっともよく知られている山です。

 春過ぎて 夏来にけらし 白妙の
  衣干すてふ 天の香具山   持統天皇


樹林の中をどんどん下って行くと、右に小さな社がたっていた。これが伊弉冊(イザナミ)神社であった。
ここから少し下ると家の間に出た。そこの電柱に香久山登山道という紙が貼られていた。
このすぐ先に、天岩戸神社の鳥居があった。
天照大神を祀る神社で、日本神話に見られる天照大神が素戔嗚尊の乱暴に怒って隠れた天岩戸はここだというのだ。この神社の御神体は岩穴としているので、神殿はなくて拝所しかないのだ。



 紀寺跡 本薬師寺跡
天香具山を振り返る


本薬師寺跡


大伴旅人の歌碑


香具山登山口から細い路地を行き、右にお寺を見てから広い車道に出る。車道を横切って田んぼの中の道を行くと「紀寺跡」があった。紀寺は、藤原京の時代に南大門・中門・金堂・講堂が一直線に建つ壮大な伽藍があったのだが、今はその痕跡は何もない。
西に向かって歩いて行き、飛鳥川にぶつかって川に沿って行く。新河原橋で飛鳥川を渡って500mほど行くと「本薬師寺跡」である。入り口には大伴旅人の万葉歌碑があった。

 わすれ草 わが紐に付く 香具山の
  故りにし里を 忘れむがため


わすれ草を自分が紐につける。香具山のあたりのあの懐かしい故郷をひとときでも忘れているために という意味である。

本薬師寺は、日本書紀によると天武9年(680)に天武天皇が皇后(持統天皇)の病気平癒を祈念して発願された寺なのだ。藤原京が平城京に遷都したとき一緒に移転したのだが、これが現在の西の京にある薬師寺である。
境内には大きな石がいくつも並んでいる。礎石である。
ここからまっすぐに西に歩いて行くと、正面に駅が見えてくる。近鉄畝傍御陵前駅だ。
私はこれから大和三山の二つ目、畝傍山に登るのだ。



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