2008年11月3日(月)
昨日の12時50分仙台港発の太平洋フェリーに乗って、名古屋港に着いたのは10時半であった。今回の旅は山陰の山を登るのが目的である。中国百名山の残り43を登り終えるつもりである。
でも、これから山陰に向かっても、今日の登山は無理なので寄り道をして行くことにした。今、奈良では第60回正倉院展が開催されているので、これを見に行くことにした。
私が大阪に住んでいた若い頃、正倉院展には毎年行っていたのだ。懐かしい。
奈良に着いたのは14時頃で、マクドに入ってネットで正倉院展の状況を調べたら日曜祝日は19時までで、16時を過ぎると入館者は減るらしい。昔もそうだったのだが、正倉院展は人がいっぱいで、行列して見学するのだ。それに今日は月曜日であるが文化の日で、三連休の最後の日である。大混雑が予想されるので、入館するのは16時以降にしようと思う。
そこで、博物館に入る前に奈良町の散策をすることにした。
マクドから北に向かって歩いて行くと、崇道天皇社があったので、ここにお参りした。崇道天皇っていたっけと思って調べたら、これは早良親王のことなのだ。早良親王は第49代光仁天皇の息子で、第50代天皇には光仁天皇の兄である桓武天皇天皇が即位したのだが、皇太子となって次の天皇に即位するはずだったのだ。ところが桓武天皇は自分の息子に天皇位を譲りたくて、早良親王に濡れ衣を着せて淡路島に流刑ということにしててしまうのだ。でも、早良親王は京都洛西の乙訓寺に幽閉中、断食して10日でなくなってしまう。無理矢理自殺させたという説もあるのだが。
その後、桓武天皇の后・皇后・母親と相次いで亡くなり、皇太子とした自分の息子まで病気になってしまって、これは早良親王の祟りだということになったのだ。その怨霊を鎮めるために「崇道天皇」という名前を与えたのである。その神社がこんなところにあるとはちっとも知らなかった。赤い鳥居をくぐって長い参道を歩いて、さらに門をくぐって境内にはいる。本殿は参道の左にあるのだ。さぞや無念であったろう早良親王のために手をあわせた。
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