猿沢の池→九重の石塔→三重塔→南円堂→北円堂→中本堂→東金堂→五重塔→奈良国立博物館

興福寺は平城遷都のときに藤原不比等が飛鳥にあった厩坂寺を移したものである。なによりも、この寺院に収蔵される仏像がすばらしい。国宝館には阿修羅像や十大弟子立像があって、私は一日中でも眺めていてしまいたくなるのだ。
奈良の代表的な景観の猿沢の池から眺める五重塔や鹿が遊ぶ広い境内、のんびり散策することをお勧めする。


 猿沢の池

興福寺五重塔が見えてきた


九重の石塔


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2008年11月3日

極楽坊から北に向かって歩いて行くと、町並みの上に興福寺の五重塔が見えた。

町並から猿沢の池畔に出た。この猿沢の池から眺める興福寺五重塔は奈良を代表する眺めである。
池の東端には九重の石塔がたっている。基台の四面には仏が彫られていて、いかにも古いもののようである。この後ろの柳が「采女衣掛柳」で、帝の寵愛が衰えたことを嘆いて猿沢の池に身を投げた采女が衣うぃ掛けたという伝説があるのだ。立派な石碑がたっているのだが、柳は新しいものである。
池を巡る遊歩道を歩いて行く。このプロムナードから眺める五重塔は本当に美しい。奈良の観光ポスターの定番になるはずである。



 興福寺境内
三重の塔がある


南円堂


興福寺五重塔


五重塔を振り返る


猿沢の池から石段を登って行くと、左に三重塔がある。塔への参道の右に大きな石があった。摩利支天石という標石がたっていて、宝蔵院胤栄守り本尊と刻まれている。宝蔵院というと、宮本武蔵が立ち会ったあの槍の宝蔵院のことだろうか。
三重の塔の前に立つ。崇徳天皇の中宮藤原聖子たてた高さ
18.4mの塔で国宝に指定されている。そんなに大きい塔ではないのだが、なにかしら引きつけられる美しさがある。
石段を登り切って、右に行くと南円堂の前に着く。藤原冬嗣が父の不比等のために建てた八角円堂なのだが、これは寛政元年(1789)に再建されたものである。西国三十三カ所の9番札所になっているので、巡礼の人で混雑していた。
南円堂から東に参道を歩いて行くと、東金堂と五重塔が聳えている。この参道の左には基壇があって、礎石が並んでいる。このさらに奥には中金堂と仮金堂があるのだが、現在発掘調査中で立入禁止なのだ。
東金堂前に立つ。聖武天皇が元正天皇の病気平癒を祈願して建立したものだが、応永22年(1415)に再建したものである。正面に吹き放しの柱が並んだ造りは唐招提寺の金堂に似ている。でも、なにかしらずんぐりした感じで、私は好きにはなれない。東金堂の後ろには国宝館がある。ここには私の大好きな仏像がたくさん収蔵されていて、特に阿修羅像は絶対に見逃せないものである。
この東金堂の右に五重塔が高く聳えている。光明皇后によって建てられたというのだが、今の塔は6代目で、応永33年(1426)に再建されたものなのだ。でも、高さは50mもあって、京都の東寺の五重塔に次いで、日本第二の高さで、国宝に指定されているのだ。
興福寺らしい眺めである。時間は1553分、正倉院展を観るにちょうどいい時間になった。



 奈良国立博物館と夜景





正倉院展は奈良国立博物館で行われているのだが、それは新館である。その手前には本館がある。ここでは常設展示があって、私は奈良に来ると必ずといっていいほど入館しているのだ。この博物館は明治
22年(1889)設立されたのだが、設計は片山東熊といって、東京国立博物館、京都国立博物館も同じく設計している。建築様式はネオ・ルネサンス、ネオ・バロック様式というらしいのだが、私はそれがどんなものなのかよくわからない。
行列して正倉院展を見た。

正倉院展のあと、本館の常設展を観て、外に出たら真っ暗になっていた。振り返ると、夜間照明がされていて、すばらしくきれいであった。奈良国立博物館本館は国の重要文化財に指定されているのだ。
さらに夜道を行くと、興福寺の五重塔も照明を浴びて浮かび上がっていた。昼に見るのとはまた違った美しさである。せっかくなので猿沢の池からも五重塔を眺めることにした。
これもまたすばらしい眺めであった。


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