飛鳥路3


天武・持統天皇陵→鬼の俎→鬼の雪隠→欽明天皇陵→吉備姫王陵→猿石→神武天皇陵

前回の飛鳥めぐりで、時間がなくて省いてしまった石像物めぐりの続きをやった。吉備姫王陵の猿石はなんとしてももう一度見たかったのだ。
次の斑鳩の里に向かう途中に神武天皇陵があったので、ここにも立ち寄ってしまった。


 鬼の俎と鬼の雪隠
天武・持統天皇陵の駐車場


鬼の俎


万葉歌碑があった

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2008年11月26日

このあと、再び飛鳥に向かった。一昨日、飛鳥を歩いたとき時間がなくなって、鬼の俎・雪隠、吉備姫王墓を省略してしまったので、それを歩こうと思う。

車は天武天皇・持統天皇陵の下の駐車場に停めた。
まず、天武天皇・持統天皇陵暮に登って参拝し、その左にある細い道を行く。広い道に出て、左折して少し行くと鬼の俎に着いた。道から右に少し上ると、柵に囲われた平たい石がある。これが鬼の俎で、実は古墳の石室の底石なのだ。
道に戻ると、今度は左に鬼の雪隠がある。これはさっきの鬼の俎の蓋石なのである。ここにあった古墳の盛り土がはがれ、そして露わになった石室がなんらかの理由で底石と蓋石が分離してしまったのだ。蓋石はころげ落ちて今の場所にあるというわけである。
遠くに葛城山と金剛山を眺めながら飛鳥の里を歩いて行く。今日はすごくいい天気で真っ青な空が広がっている。
私が今歩いているのは「飛鳥周遊コース」という遊歩道である。途中には休憩場所もあって、ベンチが置かれている。
万葉歌碑があった。

 佐檜の隈 檜の隈川の 瀬を早み
 君が手取らば 言寄せむかも
佐檜の隈の檜の隈川の渡り瀬の流れが早いからと、あなたの手を取って渡ったらば、人々が噂を立てるでしょうね。



 吉備姫王の稜(猿石)
欽明天皇陵が見えてきた


欽明天皇陵


吉備王姫の稜、柵の中に猿石が見える


指導標に従って歩いて行くと立派な陵墓が見えてきた。私はこれが吉備姫王の墓かと思って歩いてきたのだが、欽明天皇の陵であった。欽明天皇のときに、日本に仏教が伝わったと言われている。

猿石がある吉備姫王の陵は、この欽明天皇陵墓の左にあるのだ。
大昔のことであるが、私が初めて飛鳥を散策したときは、欽明天皇陵を吉備姫王の陵と間違えていたのだ。ガイドブックには猿石は陵墓の中にあると書いているのだが、欽明天皇陵はすごく大きくて、参拝場所からは陵墓の中なんてとても見えない。だから猿石を見た記憶がないのだ。今回は「さるいし」という指導標に気がついて、左の細い道に入って回り込むと、吉備姫王の陵墓の前に出た。この陵墓は小さいので、数段の石段を上ると柵の前にで、その中に猿石がたっていた。私は猿石一体だけがあるとおもったのだが、不思議な石像は全部で四体あるのだった。
見れば見るほど不思議な造形である。松本清張は飛鳥の不思議な石像物を拝火教(ゾロアスター教)の神殿に付属するものではないかと推理している。さて、どうなのだろう。
念願の猿石も見れたので、あとは欽明天皇陵墓にお参りをしてから駐車場に戻った。
これで飛鳥散策はすべて終了した。



 神武天皇陵
神武天皇陵


神武天皇陵


今日はこれから斑鳩を散策するのだ。

カーナビに従って車を走らせて行くと、神武天皇陵墓の近くを通った。カーナビで見つけて、せっかくなので参拝して行くことにした。初代天皇の陵墓は参拝する価値は十分あるではないか。
陵墓まえにはちゃんと駐車場があった。砂利道を歩いて行くと、すばらしく大きな陵墓が広がっていた。さすがに初代、ハツクニシラシメスミコトの墓である。正確には「神武天皇畝傍山東北陵」というのだ。ただし、この陵墓は1940年に皇紀2600年記念事業で、大拡大工事が行われて現在の陵墓になったのだ。
私は、安本美典氏の学説を支持しているので、ここが本当の神武天皇陵墓という気はしないのだが…。


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