金剛峯寺から壇上伽藍に行った。私は高野山には何度も訪れているのだが、今まで壇上伽藍はお参りしたことがなかったのだ。
金剛峯寺から少し行くと壇上伽藍の入口がある。
入口から真っ直ぐに伸びる参道を蛇腹道というのだ。空海は高野山について「東西に龍の臥せるがごとく」と形容にしていて、壇場伽藍が頭で、ここから伸びる道はちょうど蛇腹にあたるというわけである。
蛇腹道を行くと、道の右手に東塔・三昧堂・大会堂・愛染堂の堂塔が並んでいる。愛染堂の向かいには不動堂がある。
●東塔は大治2年(1127)に白河院の御願によって創建されたのだが、天保14年(1843)に焼失して、140年後の昭和39年(1984)に再建されたのだ。新しいだけあって、朱が鮮やかな多宝塔である。
●隣にたつ三昧堂は小さな御堂で、済高座主が延長7年(929)に建立した御堂で、もともとは総持院の境内にあったのだそうだ。済高座主はこの御堂で「理趣三昧」という儀式を行っていたために三昧堂と呼ばれるようになったのだ。ただし、現在の御堂は文化13年(1816)に再建されたものである。気がつかなかったのだが、この御堂の前の桜は「西行桜」と呼ばれて、西行法師手植えの桜なのだという。
●隣の大会堂は鳥羽法王の皇女五辻斎院が父帝の追福のために建立したものだが、現在の建物は嘉永元年(1848)の再建である。本尊は阿弥陀如来、脇侍は観世音菩薩・勢至菩薩が祀られている。
●最後に、愛染堂は建武元年(1334)に後醍醐天皇の銘によって建立されたもので、本尊の愛染明王は後醍醐天皇の御等身だという。今の建物は嘉永元年(1848)に再建されたものである。
●愛染堂の向かいにたつの不動堂は14世紀前半に建てられたというが、御堂の四隅の形がすべて違っていて、四人の工匠がそれぞれの随意に造ったのだという。
ここで蛇腹道は終わりで、一段石段を上がると広大な壇場伽藍の境内に入る。
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