金剛峯寺→蛇腹道(東塔→三昧堂→大会堂→愛染堂→不動堂)→壇上伽藍(根本大塔→金堂→御影堂→准胝堂→孔雀堂→西塔→御社→山王院本殿社)


楊柳山は高野山の外輪を一周する山旅だったのだが、ついでなので高野山の中心の伽藍も参拝することにした。
総本山の金剛峯寺から壇上伽藍に参拝した。
壇上伽藍は堂塔が立ち並び、さすがに高野山開山時から中心とされた寺域である。



 金剛峯寺
金剛峯寺の参道


金剛峯寺主殿

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2009年5月21日

楊柳山登山が終わったのだが、せっかくなので金剛峯寺と壇上伽藍を観に行った。やはり外人観光客が多かった。

まず、金剛峯寺に行く。長い参道を行き、山門をくぐる。これが正門で、金剛峯寺の建物なかでは一番古く、文禄2年(1593)に再建されたものである。正門を普通にくぐったが、本来正門を使えるのは天皇・皇族に限られていたのだ。
山門をくぐると正面に本堂がある。真ん中に大玄関があるのだが、これは閉鎖されている。この大玄関は天皇・皇族しか出入りできないのだ。
屋根の上には桶が二つ置かれているのが見える。これは天水桶で、普段から雨水を溜めておいて、火災が発生したときには火の粉が飛んで屋根が燃え上がらないようにこの桶の水をまくのだ。
山門の横にある鐘楼は元治元年(1864)に再建されたもので、袴腰付入母屋造りで県重要文化財に指定されている。



 蛇腹道の堂塔
壇上伽藍への参道、蛇腹道という


行く手に伽藍が見えてきた


蛇腹道を振り返る


金剛峯寺から壇上伽藍に行った。私は高野山には何度も訪れているのだが、今まで壇上伽藍はお参りしたことがなかったのだ。
金剛峯寺から少し行くと壇上伽藍の入口がある。
入口から真っ直ぐに伸びる参道を蛇腹道というのだ。空海は高野山について「東西に龍の臥せるがごとく」と形容にしていて、壇場伽藍が頭で、ここから伸びる道はちょうど蛇腹にあたるというわけである。
蛇腹道を行くと、道の右手に東塔・三昧堂・大会堂・愛染堂の堂塔が並んでいる。愛染堂の向かいには不動堂がある。
●東塔は大治2年(1127)に白河院の御願によって創建されたのだが、天保14年(1843)に焼失して、140年後の昭和39年(1984)に再建されたのだ。新しいだけあって、朱が鮮やかな多宝塔である。
●隣にたつ三昧堂は小さな御堂で、済高座主が延長7年(929)に建立した御堂で、もともとは総持院の境内にあったのだそうだ。済高座主はこの御堂で「理趣三昧」という儀式を行っていたために三昧堂と呼ばれるようになったのだ。ただし、現在の御堂は文化13年(1816)に再建されたものである。気がつかなかったのだが、この御堂の前の桜は「西行桜」と呼ばれて、西行法師手植えの桜なのだという。
●隣の大会堂は鳥羽法王の皇女五辻斎院が父帝の追福のために建立したものだが、現在の建物は嘉永元年(1848)の再建である。本尊は阿弥陀如来、脇侍は観世音菩薩・勢至菩薩が祀られている。
●最後に、愛染堂は建武元年(1334)に後醍醐天皇の銘によって建立されたもので、本尊の愛染明王は後醍醐天皇の御等身だという。今の建物は嘉永元年(1848)に再建されたものである。
●愛染堂の向かいにたつの不動堂は14世紀前半に建てられたというが、御堂の四隅の形がすべて違っていて、四人の工匠がそれぞれの随意に造ったのだという。
ここで蛇腹道は終わりで、一段石段を上がると広大な壇場伽藍の境内に入る。



 壇場伽藍
金堂が見えてきた




孔雀堂と准胝堂


●壇場伽藍の境内に入ると、すぐ右に聳える大きな多宝塔はその姿のままで「
根本大塔」というのだ。壇上伽藍の中心にそびえ立っている。貞観年間(859-877)に建立されたのだが、5度の火災にあって、現在の塔は昭和2年の再建されたものである。
●そして正面に立つのが金堂である。高野山全体の本堂なのだが、昭和9年に再建されたものである。
●金堂の向かいに立つのは御影堂である。もとは空海の持仏堂だったのだが、その没後、空海の肖像画(御影)が安置されたのだ。嘉永元年(1848)の再建である。
●御影堂の隣には准胝堂がある。明治16年の再建で、4間四面。本尊はその名の通り准胝観音である。
●さら隣には孔雀堂がたっている。正治2年(1200)後鳥羽上皇によって創建されたが、現在の建物は昭和53年の再建。本尊の孔雀明王は快慶作の国宝である。
●この奥にたつ多宝塔は西塔。大塔や東塔とちがって塗装がなく落ち着いた感じ。天保5年(1834)の再建であるが、本尊大日如来は弘仁年間(810-824)のもので山内最古。国の重要文化財である。
●東塔で左折すると右に御社(みやしろ)、左に山王院本殿社がある。御社には伽藍鎮守の神として丹生明神と高野明神が祀られていて、天正11年(1583)の再建。山王院本殿は御社の拝殿で、文禄3年(1594)の再建。この二つの建物は国の重要文化財である。
 →高野山奥の院


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