本殿にお参りして、再び自転車で走って行く。神社の池の畔に沿ってサイクリングロードが整備されていた。田んぼの中を快適に走って行くと「吉備津の松並木」があった。これは吉備津神社の参道なのだ。
調子よく走っていたので、途中立ち寄ろうと思っていた「鼻ぐり塚」を通り過ぎてしまっていたことに気がついた。引き返そうかともおもったが、あきらめることにした。
松並木の参道を走って、北随神門の前に着いた。この神社は吉備中山の麓にあって、山には吉備津彦の御稜があるらしい。
石段の前には竹組の柵の中に苔むした巨石があった。これが矢置きの岩である。
広い石段を上って行くと北随神門があるのだが、工事の真っ最中で、緑のネットがかけられていた。これをくぐった先には絵馬殿があって、絵馬殿にほとんど接するように本殿拝殿がある。本殿も工事中で、鉄パイプの足組が設けられていた。こんな状況ではとても落ち着いて参拝する気になれない。
本殿の奥にはすごく長い回廊が続いている。回廊の左は山の斜面になっていて、そこに社殿がたっている。「えびす社」で、最近になって再建されたものなのだ。
回廊を行くと道着の若者でいっぱいになった。弓道の大会があるようで、その出場者が屯しているのだ。賑やかである。
回廊が右に分岐すると、その先に御釜殿がある。この神社には「鳴釜神事」というとても大事な神事があるのだが、それを執り行うのが御釜殿なのである。
鳴釜神事は桃太郎伝説のモデルという吉備津彦命の温羅退治に起源があるのだ。温羅という鬼は鬼ヶ城(この山には今回の登山旅行で登った)を根城にして一帯を荒らし回っていたのだが、吉備津彦によって退治されて首をさらされることになる。ところがこの首は気味の悪い声で泣きわめくので困り果てていたのだが、ある夜、吉備津彦の夢枕にたって、「首を吉備津神社の竈の下に埋めてくれ。そうすれば釜を鳴らして世の吉凶を知らせてやる」と告げたのだ。願いをかなえてやると鳴き声はピタリと止んだという。以来、この神事が続いているというわけである。
御釜殿の中は煤で真っ黒で、炉に火が炊かれて煙がたなびいている。正面にはススで黒くなった大きなシャモジが下がっていて、炉の上に注連縄が張られていて、すごく厳粛な気持ちになってしまった。
御釜殿の先で境内を出ると池が広がっていた。その中之島には鮮やかな朱の社があった。宇賀神社であった。
境内に戻って、本殿拝殿に引き返す。回廊は通らずにえびす社の前を通り、石段を上って一童社の前に着く。ここからすぐ下に本殿の比翼入母屋造りの屋根が見えたが、屋根から下は工事のために青いネットで隠されている。せっかく国宝の社殿を見ることができないなんて残念である。
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