稚内港北防波堤ドーム→稚内公園(氷雪の門→電話交換手の碑→測量の碑→樺太犬供養塔→南極観測樺太犬訓練記念碑→稚内開基百年記念塔

稚内は日本最北端の都市である。街の背後に広がる丘には稚内公園があって、ここからは街を一望でき、そして海の上には利尻島や礼文島を眺めることができるのだ。でも、私が訪れたときは小雨で、利尻も礼文も見ることはできなかった。


 稚内港北防波堤ドーム
稚内港北防波堤ドーム


ドームの由来のパネル

BACK 宗谷

2008年7月15日

宗谷岬から稚内に戻ってきた。これから日本海に沿って札幌まで走るつもりである。でも、その前に稚内を観光する。

稚内は日本の最北端の都市である。(でも、正確には北方領土の択捉があるのだが)
稚内というのはアイヌ語のヤムワッカナイからきていて、冷たい水の流れる沢という意味なのだ。
利尻に渡ったときに停めた駐車場のすぐ近くに「稚内港北防波堤ドーム」がある。ギリシャの神殿のような柱が並ぶ半ドームのこの建造物は一種独特な雰囲気を醸し出している。このドームの中を散歩した。400m以上も続くドームの中程に壁にはめこまれたパネルがある。このドームの由来を刻んだものであった。戦前はここが樺太と稚内を結ぶ定期船の発着所だったのだ。アーチ形の建造物であったらしいが、これが老朽化したため、改良を加えて完成させたのがこのドームなのだ。



 稚内公園
公園の駐車場


氷雪の門


電話交換手の碑



稚内市街地の後ろに高台が広がっていて、ここが稚内公園として整備されている。車を走らせて急坂を登って、台地の上に出る。晴れていたら樺太まで見えるのだが、今日はあいにくの小雨である。

公園の先端には氷雪の門が立っている。高さ8mの二本の石柱の間に女性のブロンズ像がたっている。札幌出身の彫刻家、本郷新の作品だという。
足下に氷雪の門の説明板があって
「人々はこの地から樺太に渡り、樺太からここに帰った。戦後はその門もかたく閉ざされた。それから18年望郷の念止みがたく、樺太で亡くなった多くの同胞の霊を慰めるべく、肉眼で樺太の見えるゆかりの地の丘に…記念碑を造る。氷と雪の中できびしく生き抜いた人々を象徴する女人像、望郷の門、霊石を三位一体とするこの記念碑を氷雪の門と命名した。」
氷雪の門の横に「皆さん これが最後です さようならさようなら」と書かれた石碑がたっている。これは九人の乙女の碑といって、昭和208月、旧ソ連軍の侵攻を受けた樺太で最後まで交換台を離れずに任務を果たし、青酸カリで自らの命を絶った9人の若い電話交換手たちの慰霊碑なのだ。戦争というのはいろんな悲劇を生むのだ。
この隣に御製の碑がある。

 樺太に 命をすてし たをやめの
 心を思えば むねせまりくる
   樺太に つゆと消えたる 乙女らの
   みたまやすかれと ただいのりぬる


目を転じると、芝生の中にピラミッド型の塔がたっている。そこには犬のレリーフがはめ込まれていて、パネルには「南極地域学術調査隊・樺太犬供養塔」とかかれている。

昭和32年、日本が初めて南極観測に参加するにあたって、極地での物資輸送のための犬ぞり隊が編成されたのだが、その犬は稚内周辺から集められた樺太犬だったのだ。樺太犬たちは南極に出発する前に稚内公園で8ヶ月間の厳しい訓練を受け、選び抜かれた22頭が南極に趣いたのである。高倉健主演の「南極物語」の通り。この犬たちは南極に置き去りにされてしまう。当然全滅したと思われていたのだが、昭和34年、第3次越冬隊はタロ・ジロの生存を確認するのである。



 稚内開基百年記念塔
記念塔に向かう


稚内の丘陵

この公園から少し車を走らせて、高く聳える塔にむかった。「稚内開基百年記念塔」で、高さ
80mもある。この塔の上は展望台になっていて、宗谷海峡・日本海・オホーツク海を一望できるのだ。
私も登ったのだが、雨がふっているので遠くはほとんど見えなかった。でも、この公園の高台の草原の広がり、すぐ下に広がる稚内市街の眺めはすばらしかった。この記念塔の下は北方記念館で、樺太の資料などが展示してあるのだ。私が興味をもったのは、廃線になってしまった天北線なのだ。今は稚内までは宗谷線しかないのだが、昔は音威子府からオホーツク海よりに浜頓別を経由して稚内に至り、宗谷線に接続していたのだ。1989年に赤字路線として廃止されてしまったのだ。
稚内丘陵を後にして、ノシャップ岬に向かった。


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