ノシャップ岬→浜勇知園地(こうほねの家→コウホネ沼)→風力発電風車公園→天塩川歴史資料館→旧花田家番所

稚内から札幌に向かったのだが、その日本海に沿って続く道がオロロン街道である。稚内から留萌を経由して延々322kmの道で、途中には様々な原生花園があって、花の道でもあるのだ。そして、なによりも海に浮かぶ利尻岳の眺めがすばらしいのだ。でも、私が走ったときは小雨が降りしきっていて、何も見ることはできなかった。


 ノシャップ岬
稚内灯台


ノシャップ岬


BACK 稚内

2008年7月17日

稚内市街に戻って、海沿いに北に向かった。この北の先端の岬がノシャップ岬である。納沙布岬は根室の東にあるのだが、よく似ていて間違ってしまう。漢字で書くと「野寒布岬」となるらしい。アイヌ語の「ノッ・シャム」が語源で、「岬が顎のように突き出たところ」「波の砕ける場所」の二つの意味があるらしい。夕日が美しい岬としても知られていて、利尻や礼文の眺めもすばらしいのだ。でも、今日はあいにくの小雨である。展望はまったくなかった。

岬の先端はきれいに整備された公園になっていて、タイル敷きの広場の端に「ノシャップ岬」という標識がたっている。ここからは赤白の縞の高い灯台が見える。全国第2位の高さ(42.7m)という稚内灯台である。この灯台は映画「喜びも悲しみも幾年月」のロケ地ともなっているのだ。



 浜勇知園地
オロロン街道をひたすら走る


こうほねの家


歌碑があった


ここから岬を回り込んで、日本海を右に見て南に車を走らせる。これがオロロン街道である。オロロン街道は稚内から留萌を経由して小樽まで結ぶ
322kmの海岸ルートなのである。このルートからは海に浮かぶ利尻・礼文・天売・焼尻の4島の眺めがすばらしく、さらにルートに沿ってはサロベツ原生花園や金浦原原生花園など、美しい花々も眺めることができるのだ。
ところが、車を走らせて行くと雨になってしまった。サロベツ原生花園の散策を楽しみにしていたのだが、これではあきらめるしかない。
途中に浜勇知園地があって、「こうほねの家」という休憩所があった。屋上が展望台になっていて、こうほね沼とハマナスが咲く草原を眺めることができるのだが、雨でかすんでよく見えなかった。でも、せっかくなので、傘をさしてこうほね沼の畔に続く遊歩道を歩いてみた。コウホネというのはスイレン科の植物のことで、浅い池や沼に自生する水生の多年生草本なのだ。まったく知らなかった。
池を巡るとピンクのハマナスの花が咲いていて、沼の水面には黄色の小さな花が咲いていた。これがコウホネの花だと思う。歌碑もたっていた。

 浜茄子の さきみだれたる サロベツの
 砂丘の涯の 海に立つ富士




 天塩町へ
牧草地が広がる


風車の駐車場



オロロン街道はどこまでも真っ直ぐに続いている。車を走らせていると、いつの間にかスピードオーバーになっている。

道の両側は広大な草原が広がっていて、牧草地のようでロールされた草が散らばっている。
真っ直ぐな道がどこまでも続く。道のはるか向こうに光点が並んでいるのが見えてきた。いったい何だろうと思っていたら、風力発電の風車が並んでいて、そのてっぺんで灯りが点滅しているのだった。
いつの間にか雨が止んで、空が明るくなった。
天塩町の中に入ったら、赤い煉瓦の建物があった。天塩川歴史資料館である。天塩町は名前の通り、天塩川の河口にできた町で、かって漁業と木材によって「新天地天塩」といわれ繁栄した町なのだ。歴史資料館は明治か大正の建物かと思ったのだが、昭和26年に建てられた旧役場庁舎であった。




 旧花田家番屋
番屋の隣の食堂


旧花田家番所


18
時も過ぎて薄暗くなる頃、ようやく小平町に入った。そこには花田家番屋があった。
この建物は鰊漁家花田伝作氏によって、明治38年(1905)に建てられたものである。花田家は最盛期には18ヶ統の鰊定置網を経営する、道内屈指の鰊漁家で、この番屋はその本拠地だったのである。この番屋には5ヶ統の漁夫のほか船大工、鍛冶職、屋根職、曲師など
200人ほども収容していたもので、道内に現存するものでは最大規模のものなのだ。時間は18時を過ぎようとしているので、中に入ることはできない。雨の中、外から見るだけで我慢するしかなかった。
あとは札幌の向かって走るだけである。


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