サッポロビール博物館→北海道大学(永倉新八来訪碑→古河記念講堂→クラーク博士銅像→北海道大学総合博物館→新渡戸稲造の像→ポプラ並木)→青華亭→北海道庁旧本庁舎

札幌のは何度も訪れているのだが、じっくり散策したことがないので、今日は丸一日を使って観光することにした。札幌駅の北にあるサッポロビール博物館からスタートした。明治期の赤煉瓦の建物は道庁舎ともあわせて、すばらしいのだ。北海道大学のクラーク博士の銅像と美しいポプラ並木にはかんり感動してしまった。



 サッポロビール博物館
駐車場からの眺め


サッポロビール博物館






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2008718

9時までマクドで時間をつぶして「サッポロビール博物館」に行った。開館が9時なので、それまで駐車場にも入れないのだ。ここに車を停めて、一日かけて札幌の観光をしようと思っている。
サッポロビール博物館はすばらしく重厚な赤煉瓦の建物で、赤い星のマークの煉瓦の煙突が高くそびえている。この建物は明治23年(1890)に製糖工場として建てられたものだが、明治38年(1987)から札幌麦酒株式会社の製麦工場として使用されることになったのだ。博物館として開館したのは昭和62年(1987)で、平成16年にリニューアルして現在に至っている。この建物は「北海道遺産」として選定されている。
サッポロビールという名前のとおり、ここではサッポロビールの歴史を学ぶことができる。入館するとまずエレベーターで3Fまで行ってしまって、ここから順次下って行くのだ。
はサッポロビールの発祥とその発展についての展示である。明治9年(1876)、ドイツでビール造りを学んで帰国した中川清兵衛を主任技師に迎えて、開拓使は醸造所の建設を始めたのである。翌年に、開拓使のシンボル北極星をマークにしたビールを世に送り出す。これがサッポロビールの始まりである。時間をかけてじっくり見学してしまった。私は明治の頃の、日本人が「坂の上の雲」を目指してひたすら上り続けたときのお話が大好きなのだ。
には大きな煮沸釜(ウォルトバン)が展示してあった。これはビールの仕込みのときに麦汁を煮沸するもので、この行程がビールの味や香りを大きく左右するのだそうだ。このフロアには懐かしいビール看板やポスターが展示されていた。私はこうした古いポスターもすごく好きなのである。
最後の1Fに降りると、ビールの試飲ができるコーナーがあった。せっかくなので、創業当時、開拓使で造られた味を再現したという「開拓使麦酒」を飲むことにした。これに「ヱビスの黒ビール」と北海道限定の「クラシック」をセットして三種類のビールを飲んだ。有料なのだが、おつまみもついて400円と安い。コップ3杯も飲んだので、酔ってしまった。
博物館からまず札幌駅まで歩く。けっこう距離があって、酔いは冷めてしまった。



 北海道大学
札幌駅北口


北海道大学正門


新撰組永倉新八来訪の地


札幌駅北口を左に見て、まっすぐに西に向かうと北海道大学の正門である。入り口には警備員がたっているので、入門の手続きが必要なのかと思ったら、それは不要であった。車は許可が必要らしい。
正門のすぐそばに「新撰組隊士永倉新八来訪の地」という案合パネルがあった。新八は晩年、北海道大学で剣術指南をしたのだ。

大学のメインの通りを歩いて行くのだが、緑の芝生にハルニレやポプラの巨木が茂っていて、すばらしくきれいである。
その林の中に白い洋風の建物が見えてきた。古河記念講堂である。

このすぐ先は十字路で、そこにクラーク像があった。クラーク博士は北海道大学の前身である北海道農学校の初代教頭で、「少年よ大志を抱け」の言葉で有名なのだ。その「Boys Be Ambitious」の文字が台座に刻まれていた。
さらに校内を歩いて行くと、いかにも昔の大学の建物がある。これは「北海道大学総合博物館」なのだ。ここにはすさまじい量の学術資料が展示されていて、私も展示を見てまわったが、あまりにも専門的すぎて、途中でやめてしまった。
北海道大学といったらポプラ並木である。枯れて倒木のおそれがあるとおうことで、一時通行止めになっていたのだが、今はOKであった。
この並木の前には新渡戸稲造の銅像がたっていた。稲造は札幌農学校の二期生だったのである。
ポプラ並木を少し歩いてみた。夏の日差しにポプラの葉が輝いていた。いかにも北海道の夏である。

大学構内を引き返して、クラーク像からさらに南に歩いて北大生協から外に出た。




 北海道庁界隈
青華亭


北海道庁舎内


次に訪れたのは青華亭である。

青華亭はサッポロ最初の都市型庭園「偕楽園」の中に、開拓使の貴賓接待所として建てられたものなのだ。明治13年(1880)に完成して、翌年には札幌に行幸した明治天皇も休憩されているのだ。建物の全体はアメリカ風の洋風建築なのだが、西側は洋室で、東側は和室となっている。洋風建築は明るいペンキ塗りが多いのだが、木肌そのままなので落ち着いた感じである。私にはログハウスのように見えてしまった。
ここから北海道庁旧本庁舎に向かう。JRの線路をくぐって、少し行くと北海道庁がある。右手に北海道植物園があるのだが、私は植物にあまり興味はないので北海道庁旧本庁舎にまっすぐに向かった。裏から構内に入って行く。いつも正面から眺めていたのだが、裏から見る建物もけっこういいのだ。
この建物は明治21年(1888)に米国州議事堂を手本にしたネオバロック様式の煉瓦館である。設計は平井晴二郎を主任とした道庁の技師があたり、建築資材の多くは道産品を使ったのだという。


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