九州一周の旅 臼杵城
 二の丸の石碑群
野上弥生子の文学碑
左の石碑には彼女の作品「迷路の」一節が刻まれている。
彼女は明治18年に臼杵の造り酒屋の家に生まれて、15歳のとき単身で上京した。明治女学校を卒業後、同郷の野上豊一郎と結婚。夫の紹介で夏目漱石の門に入った。
99歳で他界するまで、現役作家として活躍した。


勤皇臼杵隊之碑
明治10年(1877)の西南戦役において東上してきた薩軍と戦い、命を落とした43名の臼杵隊士の功績を伝えるための石碑である。
当時、臼杵に侵攻してきた薩軍は3000人、迎え撃った臼杵隊は785人、来援の警視隊と合わせも薩軍の三分の一にも満たない人数であったという。


中根貞彦歌碑

父のみの父は吾をみず
ははそばの母はわが知らず
恋しき父母

中根貞彦は明治11年(1878)臼杵の二王座の片切家に生まれた。
早く父母を亡くしたため、父母の顔を知らずに育ったのである。
15歳の時、佐伯の中根家に養子に入って、昭和8年には三和銀行の初代頭取に就任した。
アララギ派の歌人でもあった。

「廃墟」の像
臼杵出身の彫刻家、日名子実三の作品である。
治承元年(1177)に鹿ヶ谷事件で平清盛の追捕を受けて薩摩国硫黄島に流された僧、俊寛の像である。
実三は明治26年(1893)に臼杵の畳屋町に生まれ、臼杵中学校から東京美術学校(現東京芸術大学)彫刻科に進んで、卒業した翌年に第一回帝展に「晩春」で初入選している。

 二の丸広場の南端をゆく
推定樹齢140年という、高さ29.3mと28.9mのモミの木が二本並んで立っている。
2002年12月にイルミネーションが点灯されて、日本一大きなクリスマスツリーとなった。
日本一記録の認定書も発行されているのだ。


儀太夫前櫓跡

儀太夫前櫓跡から望む臼杵の町並み
佛狼機砲(国崩)
天正4年(1576)ポルトガルから大友宗麟に贈られた日本初の大砲。
宗麟はこれに「国崩」と命名して臼杵城に備砲として備えつけていたのだ。
なお、これはレプリカである。

大友宗麟公碑
宗麟は九州六国の守護職から九州探題職となって、九州随一の覇者となった。
宗麟はまたキリスト教を信じ、ポルトガル・イスパニアなどと交易を開いて、当時の臼杵は往来する外国船や城下町に集う外国人などで、国際都市として発展したのだ。
なお、このレリーフは日名子実三
作(レプリカ)
 臼杵護国神社

臼杵護国神社

本殿の手前に池があって、そこに石橋が架かっている

この門をくぐって石橋を渡る
西南の役で薩軍が臼杵に侵入したとき、臼杵隊が防戦したが、43人の戦死者をだした。
この霊を祭ったのが神社の始まりで、明治11年の創建当時は招魂社といった。


 二の丸西端

二の丸の西端に会所櫓跡の石垣がある

会所櫓跡

二の丸からの下り口、大門櫓

大門櫓の前を通過して、井楼櫓跡に向かう

二の丸の西南隅にある井楼櫓跡。これで二の丸散策を終えて、大門櫓から鐙坂を臼杵市街へ下る
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