北海道の旅 2011年 

松前藩は寒冷地のため米が収穫できず、そのため幕藩体制の基本である石高はゼロであった。それでも、1万石相当とされたのは、漁業と蝦夷地交易の独占権によるものである。藩はその交易を商人たちに丸投げしたため、目を覆うばかりのアイヌ収奪が行われるのである。そんな思いをもって散策するものだから、つい怒りの感情が先なってしまう。



 郷土資料館から法華寺へ
郷土資料館


徳山大神宮


法華寺

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2011年7月28日

「松前藩屋敷」から車を走らせて郷土資料館に行った。カーナビにまかせたら、松前藩屋敷からはけっこう迂回するのだった。

郷土資料館は町民総合センターの中にある。外観は役場のようで、図書館が併設されていた。
展示では松前藩の歴史をよく知ることができた。たとえば、徳川家康が蝦夷地交易の独占権を与えた黒印状や、松前藩が石高ゼロの無高の大名という武鑑、松前城下時代祭りに巡行する山車の人形などが展示されていて、けっこう勉強させられた。

このすぐ隣に徳山大神宮があるので参拝することにした。かって、松前町唐津の浜辺で和人の渡海者によって祀られていた伊勢堂が何度か遷座されて、この地に鎮まったのは承応元年(1652)のことである。祭神は天照大神で、松前一宮として住民に尊崇されているらしい。この境内でゴローニン幽閉地の碑を見つけた。ゴローニンはロシア軍艦デイアナ号の艦長で、国後島に上陸したところを松前藩によって捕らえられたのだ。これは、ロシアが樺太・択捉島を襲撃したことへの報復だったのだが、ゴーローニン釈放に努力したのが高田屋嘉兵衛である。
ここから南に向かって走り、法華寺に着く。日蓮宗の寺院で、本堂に施された彫刻はすばらしかった。この地は航海のための天候や風向きをみる日和山にあたるため、参道の石段からは海を臨むことができた。



 松前城
搦手二の門を振り返る


お城への入口


本丸御門と天守閣


本丸御門


法華寺から車を走らせて、町役場前の駐車場に車を停めた。松前城を観光するのだ。(石碑などには福山城と書かれているのだが、松前城のほうがわかりやすいので、以下この名前を使う。)

大松前川を渡って、馬坂を上ると三の丸広場に着く。二の丸と隔てる外堀があって、そこには番所跡の説明板と福島城の模型があった。この広場の左には天神坂門が見えた。
堀にかかる小さな橋を渡ると「三本松土居」というロータリーのようなところがあって、その奥には「搦手二ノ門」がある。この門をくぐると本丸であった。
せっかくなのでお城に入る。城は「松前城資料館」になっていた。
道南に勢力を持っていた蠣崎氏は松前氏に改姓し、徳川家康から蝦夷地交易独占を安堵されたのは慶長9年(1604)で、この城が完成したのは1606年である。幕末には、土方歳三の率いる兵によって落城し、その後、旧幕軍がこの城に篭ったが、官軍によって再び落城。1873年に開拓使によって取り壊しが決定した。天守閣は残されたのだが昭和24年の火災で焼失してしまい、現在の天守閣は1959年に再建されたものである。
資料館の展示を眺めながら最上階まで上った。でも、展望の回廊はないので、小さな窓から外を覗くだけであった。
お城から外に出ると、片隅に「本丸表御殿玄関」が残されているのに気がついた。でも、そんなにたいしたものではなかった。
この本丸には「本丸御門」というりっぱな城門があって、天守閣から回廊で続く造りであった。
本丸御門から外に出ると松前神社があったのでお参りしてゆく。松前氏の始祖である武田信広を祀る神社である。
城内神事として伝承されてきた松前神楽が
8月の例祭で奉納されるという。


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