北海道の旅 2011年 

松前の寺町は松前城の北にあって、400年前に城の防衛をかねて寺が移築されたのだ。当時は15の寺院があったのだが、戊辰戦争で火災に遭い、今残るのは5寺だけである。
松前から函館に向かって車を走らせると、青函トンネルの出口がある吉岡に記念公園があった。ふるさとが青森県津軽の私には青函トンネルには特別の思い入れがあるのだ。


 寺町 龍雲院と光善寺
龍雲院本堂


光善寺の血脈桜

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2011年7月28日

松前神社の先は寺町のエリアである。
まず、龍雲院に参拝した。函館戦争の戦禍を逃れた唯一の寺で、惣門・本堂・鐘楼が国の重要文化財に指定されている。

龍雲院からは辻塀が長く続く静かな石畳道を歩いて行く。いかにも寺町の雰囲気である。
着いたのが光善寺。りっぱな仁王門をくぐると、もう一つ門があった。これは二階に鐘がつるされている鐘楼門であった。このお寺の見ものはサクラの銘木「血脈桜」なのだ。…もちろんこの時期、桜は咲いていない。境内には石の大仏もあった。さらに、源義経伝説の「義経山欣求院山号石」があった。これは義経が矢尻で刻んだというのだが…。




 寺町 法源寺と法幢寺・松前家墓所
法源寺本堂


法幢寺本堂


光善寺から来た道を引き返して、左折すると法源寺がある。
境内には松前藩の家老で、「夷酋列伝像」を描いた蠣崎波響の墓があった。境内の石仏群もよかった。
法源寺から北にのびる石畳道を行くと、左に法幢寺がある。山門にはキンピカの四天王像が立っていた。
いかにも曹洞宗の禅寺らしく、境内は緑の苔に覆われていた。

本堂に向かう参道の左に「松前家御霊屋」があった。大きな唐破風があるのだが、普通の土蔵に見えてしまう。
庫裏の裏に回るときれいに刈り込まれた庭園があって、ここからさらに小道を行くと、松前藩主松前家墓所に着いた。たくさんのお墓が並んでいる。
ここには樹齢
380年のイチイの巨木や、ケヤキの巨木がそびえていた。




 阿吽寺
阿吽寺山門


天神坂の夫婦桜


ここから東に向かって歩いて行くとT字路にぶつかって、正面は桜見本園であった。北海道では、松前の桜はすごく有名なのだ。
T字路から南に向かうとすぐに右に桜資料館があった。桜資料館は10時から15時までなのだが、今の時間は1545分。中に入ることはできなかった。
この少し先で左折して、坂道を下ると阿吽寺に着く。真言宗の寺院で、密教の奥義、阿吽の呼吸から付けられた寺名である。この寺も明治元年の大火に遭っているのだが、内陣が土蔵造りだったため、火事を免れた宝物が多いのだ。でも、それらの貴重な仏像などを観ることはできなかった。
道を引き返して、松前城域の南端から天神坂を下った。ここには夫婦桜の古木があった。桜の時期だったらすごくきれいなのだろうが…。
これで松前の観光を終えた。
函館に向かって車を走らせる。




 青函トンネル記念館
青函隧道建設記念碑


青函トンネル記念館


函館に向かって国道
228号線を走って行くと、吉岡の町に入る手前の丘に「トンネルメモリアルパーク」があった。青函隧道建設記念碑や昭和天皇の御製の歌碑などがあった。
 その知らせ 悲しく聞きて わざはひを
 ふせぐその道 疾くとこそ祈れ

昭和29年、青函連絡船洞爺丸が転覆して多くの人命が失われたのだが、これを悲しまれて昭和天皇がお詠みになられたのだ。このことが青函トンネル着工の大きな力になったのである。

さらに車を走らせて福島町に入ると、青函トンネル記念館があった。時間は1653分であった。受付の人にきいたら、17時閉館らしい。大急ぎで回るから中に入れて…と頼んだら、特別に時間を延長してくれた。円空の仏像があるのに驚いたが、彼は寛永6年(1666)に北海道に渡っているのだ。私が外に出たのは1720分であった。ありがとうございました。
福島町から知内町に入ったすぐ先に「道の駅しりうち」があった。この夜はここに泊まった。


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