耕三寺(中門→五重塔→僧法蔵→法宝蔵→孝養門→本堂→千仏洞→救世観音大尊像→茶祖堂→八角円堂→銀龍閣→未来心の丘→潮聲閣→金剛堂)→向上寺の三十の塔→しまなみ海道

耕三寺というのは、この生口島出身の金本耕三が母の菩提を弔うために建てたお寺なのだ。境内の伽藍はすべて極彩色に塗られ、その派手派手しさには愕然としてしまう。そしてその堂塔は日本の国宝寺院を模したものでもある。


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2007年4月5日

大山祇神社の参拝を終えてもまだ
1220分である。今日はこれから隣の生口島に渡って耕三寺を観光をするのだ。
耕三寺というのは生口島出身の金本耕三が母の菩提を弔うために建てた寺なのだが、すさまじく派手派手しい寺なのだ。
もう一度しまなみ海道に入って、吊橋で生口島に渡る。高速道路の一区間を走ったのが、それでも料金は650円であった。
耕三寺の前には駐車場があったが、それは500円とあって有料なのだ。ところが、そこからほんの少し行ったところに町営の無料駐車場がある。これを知らずに有料のところに停める人も多いのだろうと思う。
さて、耕三寺の入口は、もうここから極彩色である。この軽薄な極彩色はいったいナンナノダと思ってしまうのだが、仏教伝来以来の仏教寺院というのは極彩色があたりまえだったのだから耕三寺のハデハデを攻めることはできない。
この最初の門をくぐって、石段を登ると極彩色の楼門がたっている。これが中門なのだそうだ。この門の左右にはこれまた極彩色の仏像が納められている。観心寺の虚空蔵菩薩のような福福しい顔の十一面観音と憤怒像がたっているのだ。
入場券を購入してから構内に入る。もぎりのところでは親切にこの中の拝観順序を教えてくれていた。
中に入ってすぐ右にはお土産屋さんがあって、左には鐘楼がある。でも鐘楼は今修復中であった。
目の前の長い石段を登ると五重塔がたっている。これも極彩色で、朱に塗られている。その左右には金堂がたつ。この塔と金堂の配置方法は大阪の四天王寺を模したものなのだ。左の金堂は僧宝殿で茶器の展示がされていて、右は法宝蔵で近代美術の展示館である。
さらに急な石段を登るとそこにたつ門は日光の陽明門を模した孝養門である。日光の陽明門にまけないほどに彫刻群にあふれ、それが極彩色で塗られている。
この門をくぐると、目の前には宇治平等院を模した本堂(阿弥陀堂)である。宇治平等院が極彩色の文様で飾られているという図は想像できないのだが、それが目の前にたっている。
この本堂の左右の袖にはそれぞれ仏像が納められている。左にあるのは重要文化財の定朝様式の阿弥陀仏で、右には新しくつくられて乾漆像が収められている。この右の仏像は東大寺三月堂の不空絹索観音を模したものである。これも極彩色である。
このすぐ傍には千仏洞の入口があるので入ってみた。この中は胎内くぐりのようなもので、中には本当に千体ほどの石仏であふれていた。地獄絵図や六道の絵図が飾られていて、あとは無数の石仏が溢れる洞窟の中をアップダウンするのだ。
この千仏洞の出口には大きな観音像が立っている。これも彩色されているのだが。これは法隆寺の夢殿の救世観音を模したようである。
この先には白亜の石庭の丘がある。いってみた。でもそれを登って行くと多宝塔のすぐ傍を通るのでこれに立ち寄った。この多宝塔は石山寺の日本最古、国宝の多宝塔を模したものである。これも鮮やかに色塗られていた。
エレベーターで上がって外に出ると、白い石の道である。不思議な世界である。
拝観してきた道を引き返して、潮聲館に行った。これは書院造りと洋館を複合させた大邸宅なのだ。
これで一旦、門を出る。この斜め向かいに金剛館という仏教美術の展示館がある。この中では、やはり快慶作の宝冠阿弥陀如来坐像がすばらしかった。
これで、耕三寺の見学は終了である。もう帰ろうかと思って、島の地図をみると、国宝に指定されている「向上寺三重塔」がある。せっかくなので行ってみることにした。
朱塗りの美しい塔で、永享4年(1432)の建立だという。この塔の少し上に展望台があって、そこからは塔と瀬戸内海の青い海を眺めることができた。

生口島からしまなみ海道に入って今治に向かう。今治北ICの出口にはSAがあって、そこから海峡にかかる橋を眺めることができる。海峡には船が行き交い、連なる橋はきれいだ。
しまなみ海道を満喫して、今治に戻った。



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耕三寺の入口


五重塔


孝養門(日光陽明門を模した)


本堂(宇治平等院を模した)


信楽殿(大講堂)


千仏洞


未来心の丘





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