北海道の旅 2011年 

北見は昔、野付牛と呼ばれたのだが、松浦武四郎によって北見の名前になったらしい。
北見の散策は、結局、開拓の歴史を尋ねる旅になった。屯田兵による開拓の歴史をしのぶ信善光寺、土佐から野付牛開拓のためにやってきた北光社、そして彼らを激励するためにやってきた宣教師ピアソン夫妻。北海道の大地はこうした人たちの辛苦の積み重ねによって開かれていったのである。



 メルヘンの丘
メルヘンの丘


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2011年7月21日

網走から北見に向かった。
国道
39号線を走ってゆくと、女満別に入る手前に「メルヘンの丘」がある。黒澤明監督の映画「夢」の撮影が行われたことから有名になったビューポイントである。たくさん写真を撮ってしまった。
このすぐ先に道の駅メルヘンの丘があった。建物が童話のお城のようであった。女満別の町を過ぎると、女満別空港があった。釧路に住んでいたときから気になっていたので、どんな空港か見に行ってしまった。



 北見市街をめぐる
ハッカ記念館


北網圏北見文化センター


どんどん車を走らせて、北見の街に入ったのは
12時ころである。まず「北見ハッカ記念館」に行った。
昔、北見はハッカ作付けの中心地だったのだ。明治35年頃から生産が始まって、昭和14年に全盛期を迎えた。このときは世界ハッカ市場の70%を占めるほどにいたったのだが、今は合成ハッカや安い輸入品に押されて廃れてしまった。…さみしい。なお、ハッカは漢字で「薄荷」と書くのだという。
ここから市街に戻って、「北網圏北見文化センター」に行った。これは科学館・博物館・美術館・プラネタリウムの複合施設なのだ。展示物の中には「月の石」まであった。来たミスがどういう経緯でこの石を手に入れることができたのだろう、不思議だ。
武陽丸という帆船の模型があった。北見に入植した最初の屯田兵を運んだのがこの船なのだ。






 北見開拓の歴史を訪ねる
ピアソン記念館


北光社史跡の駐車場


北光社史跡


次に行ったのは北見市の東南郊外にある信善光寺。ここには屯田兵人形があるのだ。詰襟の軍服、白い脚絆、肩に銃を背負った姿の人形が
75体も並んでいる。北見は昔、野付牛といったのだが、この原野を開拓したのが屯田兵だったのだ。明治30年のことである。人形は昭和7年に、寺の住職が名古屋の人形師に依頼して製作されたという。
次に訪れたのがピアソン記念館である。カシワやニレの木の林の中に記念館はあった。宣教師のピアソン夫妻が布教活動のために来日したのは明治21年(1888)で、北見にやってきたのはキリスト教信徒で結成されて北光社移民団を激励するためだったのだ。この館が建てられたのは大正3年(1914)で、今の館は1968年の復元工事によるものである。
ここで北光社のことを知ったのでその史跡に行ってみることにした。北見市街をあっちへ行ったりこっちへ行ったりしている。北光社移民団が土佐から野付牛(北見)に到着したのは明治30年(1897)。団長は坂本竜馬の甥の坂本直寛で、信善光寺にあった屯田兵とともに北見の開拓を行ったのである。
再び、オホーツク海に向かって車を走らせて、道の駅サロマ湖に着いたのは17時少し前であった。ここに泊まる。


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