関東の旅

西参道→行常堂→法華堂→大猷院(仁王門→水盤舎→二天門→鐘楼・鼓楼→夜叉門→唐銅製灯籠→本殿→皇嘉門)→二荒山神社→親子杉→本殿→神苑(日枝神社→神輿舎→大黒殿→お化け灯籠→二荒霊泉)

日光に行っても東照宮だけ見て帰る人が多いかもしれないが、大猷院はひけをとらない素晴らしい建築群である。日光東照宮を建造した徳川家光を祀る寺院なのである。極彩色の伽藍は見ていて飽きることがない。二荒山神社の見物はやっぱり神苑である。化け灯籠や霊泉など見るべきものは多いのだ。


 大猷院
西参道を行く


大猷院と二荒神社前の広場


仁王門


水盤舎


二天門を振り返る


夜叉門

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2008年3月31日(月)

東照宮と一言でいってしまっているが、境内にはその他にも見るべきものは多いのだ。

私は西参道から境内に入ったのだが、参道を上りきった正面にあるのが二荒山神社で、左折すると大猷院である。この頃から小雨が雪になってしまった。明日から4月だというのに雪が降るのかよと思ってしまう。何よりも寒くてたまらない。
日光東照宮は徳川家康を祀った廟なのだが、これを造ったのが三代将軍家光である。その家光の廟が大猷院なのである。
大猷院の手前には赤い御堂が二つ並んでいる。手前が常行堂で奥が法華堂である。この前を通って拝観の切符を買う。目の前に聳えているのが仁王門である。東照宮のようは派手派手さはないのだが、赤く塗られ装飾もきらびやかである。
仁王門をくぐって境内に入ると、左には水盤舎がある。白い普通の御手洗所なのだが、天上には狩野永真の竜の絵が描かれているというので立ち寄った。ところがその絵はほとんど消えかかっていて、龍の輪郭すらよくわからなかった。本当はこの竜の絵が水盤の水に映って、水の中に龍が潜んでいるように見えるらしいのだ。
参道は左折して石段を登ったところにたつのが二天門である。この門は日光山内では最大のものなのだそうで、掲げられて扁額の文字は後水尾天皇の宸筆なのだそうだ。門にたっているのは四天王のうちの持国天と広目天で、この二天がたっていることから二天門というのだ。裏にまわるとたっていたのは風神と雷神であった。この像は三十三間堂の風神・雷神像によく似ていた。でもこの風神・雷神はもともとは陽明門の守り神だったという。
二天門から鉤型に曲がって石段を登ると正面の門が夜叉門である。この石段の両側には鐘楼がたっている。まったく同じ造りなのだが、正確には左が鼓楼で右が鐘楼である。また参道には銅製の灯篭が並んでいる。33対の唐銅製灯篭で、10万石以上の大名から奉納させたものなのだ。
石壇を上りきったところにたつ夜叉門もすばらしいものである。門を支える柱は朱に塗られているのだが屋根の下の装飾は黒漆と金の金具がすばらしい雰囲気をだしている。門の四面にたつのは夜叉で、それぞれ方位を表す青・緑・赤・白に彩色されている。
こうしてようやく本殿にたどり着いたわけだが、拝殿の入口が唐門で、これは白く塗られている。龍や鶴などの霊獣・霊鳥などの精緻な彫刻に飾られている。門の柱は漆箔金襴巻きという華麗なつくりなのだが、これかプラスチック板で覆われていた。拝殿の中に入ると格子天井には紺地に金で龍が描かれていて、その数140枚、正面には唐獅子の障壁画、落ち着いた感じの中にも豪華・きらびやかさがある建築群であった。
これで終了と思って、案内に従って歩いて行くと、本殿の回廊から出たところに、竜宮城の門のような皇嘉門があった。この門の奥が家光の墓所で奥の院ということになる。中に入ることはできない。これで大猷院の拝観を終えた。



 二荒山神社
二荒山神社の神門


二荒神山社境内


境内の杉の巨木


神楽殿


神輿社


大猷院から次に二荒山神社に向かう。

日光という地名は二荒を音読みした「ニコウ」に、日と光の字をあてたものだという。この神社の御神体は男体山(二荒山)で、そういえば男体山の登山口にも二荒山神社があって、そこで入山料(初穂料)を払ったのだった。
さらに東照宮の入口にある神橋はこの二荒山神社の参道の橋なのだ。寛永の大造替のときに今のような朱塗りになったという。でもそれは明治35年の洪水で流されてしまって、今の橋はその後再建されたものである。
大鳥居をくぐって石段を上る。神門から境内に入ると、左に大きな杉が聳えたっていた。親子杉であった。
この二荒山神社の見所は神苑にあるので、中に入ろうと思う。ところが拝観は9時からなのに受付がいなくて門も閉まっていた。何故だと思ったら、神官や巫女さんは全員本殿に集まって祝詞の真っ最中であった。神道でも仏教のような朝のお勤めがあるらしい。
910分頃に門が開いて、神苑にはいった。
入るとすぐ右にに注連縄が張られた古木がある。上のほうはなくなっていて枯れかっているような高野槙の木でなのだが、弘法大師お手植えなのだそうだ。
入ったすぐ左には赤い社がある。天海僧正が祀ったという日枝字神社で、正保年間(164448)に造られたものである。神苑はそんなに広くなくて、狭い境内に社がひしめいているという感じである。日枝神社の隣には神輿社がある。他の社は赤く塗られているのだが、この建物だけは白木である。でもこの神輿社は元和3年(1617)に東照宮造営の時に建てられたもので、山内では最古のものなのだ。巫女さんがその扉を開けているところで、中には金ぴかの神輿が鎮座していた。参道は緩やかに左にカーブしてゆくのだが、その右には赤い鞘堂に収まった灯篭がある。これはけっこう有名なもので「化灯篭」と呼ばれる銅製の春日造灯篭である。これに灯をともすと怪しげな姿に変わったという伝説があって、実際灯篭には山内警護の武士が切りつけたという刀跡が無数に残っているのだそうだ。
参道の奥にあるのが二荒霊泉である。
こんこんと湧き出る泉には3つの表札がたっていて、右から智慧の水・酒の泉・若水とかかれている。私はこうした湧き水は必ず飲んで見ることにしているので、柄杓に救って飲んでみた。この泉は眼病に霊験があるというのだが、私は目に悪いところはないので、効くのかどうかはわからなかった。でも、酒の泉でもあるので、確かにうまい水だと思った。


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