関東の旅

五重塔→仁王門→上・中・下神倉→神厩舎(三猿)→輪蔵→御水舎→鐘楼→鼓楼→本地堂→陽明門→唐門→奥の院→大鳥居→輪王寺(大護摩堂→御法天堂→庭園→金剛桜→三仏堂)→勝道上人像

日光の建造物群は世界遺産であって、そのため外国の観光客がものすごく多いのだ。東照宮は本当に色鮮やかな彫刻によって隙間なく埋め尽くされている。ひとつひとつ丹念に観ていたら、本当に日が暮れてしまうのだ。
輪王寺は最近になって再建された伽藍なのだが、その巨大さに圧倒されてしまう。



 東照宮
仁王門(裏)


神厩舎


上神倉


鉄の灯籠

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2008年3月31日(月)

神苑を出て二荒山神社境内を東に向かい楼門をくぐる。この先に東照宮があるのだ。

上新道という道を歩いて行くと五重塔がたつ広場に出る。色鮮やかに彩色された五重塔で、初層から4層までは和様だが五層目は唐様だというのだが、その五層は高すぎてよく見えなかった。
この広場の左に東照宮の入口がある。表門という仁王門があって、寛永の大造営のときに建てられたものである。
門をくぐって境内に入ると参道は鉤型に曲がるのだが、正面には上神庫と中神庫、右に下神庫がたつ。鮮やかな朱で塗られているのだが、校倉造になっているのがすごい。左に建つのは神厩舎で、東照宮の建物では珍しい素木造りである。でも、ここには有名な三猿の彫刻が施されているのだ。三猿というのは見ざる・言わざる・聞かざるの猿で、それぞれ目・口・耳をふさいでいる。ここに飾られる猿の彫刻は三猿だけではなくて八枚のパネルで構成されていて、人の一生を描いているのだそうだ。厩に猿の彫刻があるのは、猿は馬の健康と安全を守るという言い伝えによるものである。
この神厩舎を左に見て進むと正面突き当りには御水舎がたっている。今では神社には必ず御手洗があるのだが、その最初はこの御水舎だったのだそうだ。たかが御手洗と思うのだが、さすがに造りは立派で、花崗岩の12本の柱で屋根を支えていて、華麗な彫刻で飾られている。
ここで右折すると正面、石段の上にたっているのが陽明門である。左に経蔵、右に上神庫を見て唐銅の鳥居をくぐって石段を上る。上の平坦地には鼓楼と鐘楼がたっている。

陽明門に上がる石段の手前左には本地堂がある。この堂内の天井には大きな龍の絵があって、この下で手をたたくと龍の鳴き声が聞こえるのだ。鳴龍と呼ばれている。
私が入ったときは観光客で溢れていて、御堂に入りきれなかった。ちょっと待たされてから、ようやく鳴き龍の声を聞くことができた。昔は自分で手をたたいて聴いたのだが、今は案内の僧が拍子木を鳴らして聞かせてくれるのだ。龍の絵の下と他のところでは明らかに音が違う。天井と床とで共鳴して、鈴を鳴らしたような余韻になるのだという。



 陽明門
陽明門




眠り猫


奥宮への石段


本地堂から戻って石段を上ると陽明門である。
陽明門に施されている彫刻は
508体もあるのだそうで、一日中見ていても飽きることがないということから日暮門とも呼ばれるのだ。日本の建造物は過剰な彫刻を施したものはほとんどないのだが、この陽明門だけは別である。溢れる色彩と空間を恐れるかのように埋めつくされた彫刻群に圧倒されてしまうのだ。
門のすぐ上の梁には白い唐獅子の彫刻、その上には唐の聖人たちの彫刻、その上の高欄には「唐子遊び」という子どもたちが遊ぶ図の彫刻が施されている。さらにその上には白い龍、ともかくこの過剰な彫刻はすごいとしか言いようがない。陽明門から左右に伸びる塀も花鳥の彫刻で埋め尽くされていて、これらを丹念に見ようと思ったら、本当に一日かかってしまいそうだ。

神像を左右に見て、門をくぐって裏に回ると唐獅子が置かれている。こちら側の門の柱の一本は逆柱になっている。よく見ると柱につけられて文様の渦巻きが逆さなのだ。あまりにも完璧であることを避けるため、あえてこの1本だけ逆さ柱にしたのだそうだ。
こちら側の左右の塀には白い唐獅子の彫刻が施されている。
門をくぐった正面に建つのが唐門で、これは白く塗られている。
唐門の両側の白い柱には紫檀・黒檀の素材そのままの龍が彫られている。昇龍と降龍である。
門の唐破風に下には舜帝朝見の儀の彫刻がある。これもすばらしく精緻なものである。この門の奥には拝殿と本殿があるのだ。
唐門を正面に見て、左に進むと東回廊のくぐり門があって、そこには有名な左甚五郎作とされる眠り猫がある。
この東回廊から長い石段を登って行くと、徳川家康が眠る奥社である。石柵に囲まれた広場の真ん中に宝塔があって、この中に家康の棺が収められているのだ。
東照宮の参拝はこれで終了して、来た道を引き返す。



 輪王寺
東照宮の大鳥居


三仏堂


三仏堂を振り返る


東照宮をあとにして、表参道を下って行くと石の大鳥居がある。これは福岡の黒田長政が寄進したもので、原材料の花崗岩はわざわざ九州から運んだのだそうだ。

表参道を行くと左に大伽藍が現れる。これが日光山輪王寺である。
まず護摩堂の前に出る。この建物は1998年に完成した鉄筋コンクリート造りなのだが、圧倒される大きさである。この隣には朱塗りの護法天堂がたっている。今、護摩堂に祀られる毘沙門天・大黒天・弁財天の三天は、もとはここに祀られていたのだそうだ。
池のある庭園を見てから右折して、大きな建物を回りこむと三仏堂の正面に出る。これが輪王寺の本堂である。
江戸時代までは二荒山神社と東照宮の間にたっていたのだそうだが、明治の神仏分離令によってここに移されてしまったのだそうだ。名前の三仏というのは、千手観音・阿弥陀如来・馬頭観音の三仏である。中に入ると、大きな金ぴかの仏像が聳え立っていた。でも、彫刻としてはそんなに優れたものと思えなかった。
これで日光山内の観光をすべて終えて、宿に引き返す。輪王寺から下って行くと、道の途中に勝道上人の銅像があった。勝道上人というのは奈良時代の人で、最初にこの日光を開いた人なのだ。明星天子のお告げにより補陀洛山を目指してこの日光にやってきて庵を結び、15年の歳月をかけて補陀洛山(男体山)の登頂に成功したのだ。補陀洛山といったら観音菩薩がいる浄土のことなのだが、それは日本の南洋にあるとされているのに、どうしてこの日光の山が補陀洛山になってしまったのか…不思議である。


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