BACK 明神ヶ岳
2010年5月21日
明神ヶ岳山頂から7分ほど下って灌木のトンネルに入ると、最乗寺の分岐があった。このすぐ先に摂政宮行啓記念碑がたっていた。摂政といったら、大正天皇の摂政を務めた昭和天皇のことである。今の皇太子もそうだけど、天皇家はけっこう登山が好きなのだ。ヤマヤの私としてはとてもうれしくなってしまう。このすぐ先に矢佐芝・塚原駅への分岐があった。
この先で樹林の中に入ると、赤土のえぐれた道になった。
尾根をまっすぐにどんどん下って行くと、直進方向が通行止めになっていて、道は右に急下降するようになっていた。なにかで迂回路になっているのではないかと思って、通行止めの道を行ってしまった。尾根の快適な道で、道もしっかりしている。快適にどんどん下って行くと、最後に笹を刈り払った所に出て、その先で、尾根から右にハシゴで下るのだった。下ったら林道に出てしまった。さて、どっちへ行ったらいいのかと、地図と磁石で確認したら、とんでもないところに来ていた。明星ヶ岳へは、南に続く尾根を下らなければいけないのに、私は東に連なる尾根を下ってしまったのだ。どうしようかと思ってしまう。地図をよくみると、林道が沢に入り込んだところに細い登山道がある。これを登ったら明神への尾根に登れるようだ。ともかく林道を行ってみることにした。ところが登山道は見つからない。ぜったい通り過ぎてしまったのではないかと思い始めたところで、登山道の入り口を見つけた。新しい丸太で階段になっている。この道を登ることにした。ところが、途中で道はなくなってしまった。でも、引き返すわけにはいかない。かすかな踏み跡をたどって、尾根に向かって急登した。急斜面にはイバラがたくさんあって、腕や手が傷だらけになってしまった。それでも、斜面をひたすら登ってようやく尾根の上に着いた。予想通り登山道があった。ほっとした。ここには「学校林跡地」という説明板があった。白山中学校の学生が昭和25年に、4ヘクタールの斜面に植林を行ったらしい。今は町村に移管されてしまったが、私が必死で登ってきた道なき斜面の林は学校林だったのだ。
この尾根を左に登って行く。5分ほど登って行くと、明神登山道という指導標がたっていて、まちがいないことがわかった。
指導標のすぐ先で緩やかな下りになった。行く手には濃い緑の樹林におおわれた山が見える。これが明星ヶ岳だろうと思う。(違ってた。まだこの奥なのだ)登山道はその樹林の間にうねって続いている。
防火線のような広い道を歩いて鞍部に着き、さらに緩やかに登って行くと、樹林の中に入った。林の中を少し登ると右に大きなアンテナがあって、そこから少し行くと宮城野への下山口があった。ここからは山頂を往復して、この道を下るのだ。
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