道の駅→船着場公園→南町通り→田村家→国見家→郷土資料館→吉田家→枡形→オデオン座

脇町の南通りは約400mにわたって塗り籠め壁の重厚な家並みが続く。藍商で栄えた往時の町並みが残り、うだつをあげた家が多いことから「うだつの町並み」と言われているのだ。虫籠窓・格子造り・蔀戸などの江戸時代の面影をそのまま残していて、木曽路の妻籠や馬篭に劣らぬすばらしい町並みである。


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2007年3月22日

吉野川の左岸に続く河北街道に脇町ははある。
1585年、阿波の藩主になった蜂須賀家政は筆頭家老の稲田氏を、阿波の要衝であるこの脇の城代にした。稲田氏は阿波の藍を奨励して、藍商の商人町をつくったのだ。藍商は吉野川の水運によって大いに栄えたのだ。
その繁栄した商家の古い家並みが残っているのだ。そして、その家並みの特徴は「うだつ(卯建)」である。ウダツというのは、町家の妻壁の横に張り出した袖壁のことで、火除け壁ともいい、防火の役目をしたのだ。江戸時代の富裕な家はこのウダツをあげた立派な家を造っていた。
ことわざ事典には、いつまでもぐずぐずしていて、一向に出世のできないことを「うだつが上がらぬ」としるしている。

「道の駅藍ランドうだつ」の南には吉野川が流れている。うだつの町並みは北側にあるのだ。道の駅からから一旦下って町並みに向かう。この下ったところは「船着場公園」で、昔、藍の積み下ろしが行われた船着場である。階段状の石垣が残っていて、この高さで氾濫したときの吉野川の高水位を知ることができる。
石段を上って門をくぐると、左には観光情報センターがあって、その隣には藍蔵という食事処がある。この前を鍵型に曲がって右に白い土蔵を見ながら細い道を行く。すぐに広い道に出る。これがうだつの町並み、南町通りである。
左(西側)に歩いてゆく。
すぐに田村家があった。宝永84月の棟札をもち、町並みで二番目に古い建物である。敷地は表通りから吉野川川岸まで占めていたそうで、繭糸商を営む大谷屋の屋敷であったが、明治初期に田村家が入居して現在に至っている。でも、表の戸がガラス戸に変わってしまっていて、そんなに古いものとは思えない。他の建物のほうがよっぽど立派に見えるのだが。
それは国見家も同じであった。国見家も宝永4年の建物で、この通りで一番古いというののだが、いまいち、ぱっとしない建物であった。
ガイドのしおりを見ながら回るのは止めにしていまった。ただ、このうだつの町並みの雰囲気を楽しんだらいいではないかという気分になってしまった。
通りを西に向かって歩いて入ったが、美馬市観光文化資料館があったので中に入ってみた。驚いたことにテレビドラマの水戸黄門のロケの写真が展示されていた。
ここから引き返した。来た道をぶらぶら戻って行く。道の駅への入り口には吉田家住宅がある。これは寛政4年に建てられてものだが、脇町最大の床面積をもつ脇町指定文化財なのだ。でも、入場料500円なので、外から見るだけにした。
古い町並みが続く。写真を撮りながら歩いてゆくと、正面に枡形のようなところがある。井戸があって、その前を鍵型に曲がらなければいけないのだ。
このすぐそばに町立図書館「うだつ館」があるので入ってみた。でも、その手前の倉庫にはうだつの実物模型や緻密な彫刻を施された山車があるので、これが目的だ。これは見ごたえがあった。
さらに通りを東に向かうと大谷川に出る。この川沿いにはオデオン座という、古い映画館があるのだ。かって、山田洋二監督の「夢を掴む男」という西田敏行主演の映画のロケに使われてものだ。川を挟んだ対岸から眺めると、いかにも昔の映画館といった感じで趣きがある。
あとは、さらに東の稲田屋敷散策路を歩いたが、道がよくわからなくて引き返してしまった。
うだつの町はけっこう楽しかった。木曽路の馬篭や妻籠に負けないすばらしい町並みだと思う。


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道の駅藍ランドうだつ


船着場公園


うだつの町並み


美馬市観光文化資料館


枡形のようなところがあった


藍染の体験学習ふれあい館


オデオン座






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