九州一周の旅 杵築

2011年10月4日
杵築城から勘定場の坂を上ると「北台武家屋敷」に着く。
長い土塀や白壁の続く静かな佇まいが残る町並みは、多くの歴史研究家から「日本一の城下町」と呼ばれるほど江戸時代の面影を色濃くとどめている。

勘定場の坂の案内板がある。まっすぐ正面が勘定場の坂

勘定場の坂を上る。緩やかな傾斜と広い階段は馬や駕籠かきの歩幅にあうようにつくられているのだ

坂の上から振り返ると、けっこうきつい坂であった

坂を上りきると、左に武家屋敷「磯矢邸」がある
 磯矢邸
藩政時代、このあたりは「北台家老丁」と呼ばれていた。
明治初年の記録では幕末、加藤与五右衛門(200石)の屋敷であったいう。
この屋敷は平成6年に磯矢昭三氏から寄贈を受けたことから磯矢邸と名づけられた。

磯矢邸のなか

磯矢邸の庭
 勘定場の坂
磯矢邸で休憩しながらガイドブックを読んでいたら、勘定場の坂には富士山の形をした石があるということがわかった。
「是非、探してみよう」と書いてあるので、これは見逃せない。石段を引き返すことにした。
武家屋敷から下ってゆくと、数えて24番目の石畳に確かに富士の姿があった。24番目ということから「西(24)の富士」と呼ばれるらしい。
勘定場という坂の名前は江戸時代に、このあたりは収税や金銭出納の役所があったことからつけられたものだそうだ。

磯矢邸付近の武家屋敷

藩校の門が見えてきた
 藩校学習院
この門は天明年(1788)に7代藩主が設立した藩校「学習院」の藩主御成門である。
学習館は明治4年の閉校まで、藩士の子弟を中心に漢学・国学・洋学・算学などを教えていた。
この門は現在も杵築小学校の門として使用されている。


藩校模型学習館があった

藩校の庭
 能見邸
の能見邸は杵築藩主松平家の出身地である三河能見を姓としたもので、5代藩主の九男が能見家の初代である。
平成19年に能見マサさんから寄贈をうけ、保存解体修理をして平成22年から一般公開を行っている。
なお、拝観料は無料である。

能見邸の玄関

能見邸の庭

邸内

欄間
 大原邸
大原邸の長屋門
杵築藩の家老を務めた大原家の屋敷である。この長屋門を入ると茅葺屋根の重厚な式台玄関。玄関のまえには樹齢200年の大蘇鉄が植えられている。
広く優雅な回遊式庭園もあって、杵築を代表する武家屋敷である。

屋内でも弓の稽古ができるように、高くしている

回遊式庭園

樹齢200年の大蘇鉄

式台玄関
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