人吉は人吉盆地に開けた相良藩2万2000石の城下町だ。街の真ん中を球磨川が流れ、人吉城には今も昔を偲ばす石垣が残っている。しっとりとした情緒のある町である。

人吉城跡→水ノ手橋→お茶蔵→願成寺→大信寺→みそしょうゆ蔵→大村横穴群→人吉駅→青井阿蘇神社→武家蔵→永国寺→大手門跡→人吉城跡


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昨夜から白鳥山の登山口にいる。昨夜はすさまじい風が吹いていて、車が揺れるほどであった。
夜が明けても雨が降っていて、風も強い。霧が流れていて展望はきかない。

こんなときに登ってもしかたがないか、という気になった。霧島山は以前に登ったときも小雨の中であった。この山は展望を楽しむ山だと思っている。雨の中を登るのは気がすすまない。
もう一度出直すことにして、今日は人吉の観光をすることにした。

山を下って人吉に着く。あまり大きな街ではない。
人吉城の近くに車を停めた。
人吉城は明治に取り壊されていて、今は石垣しか残っていないのだ。
石段を登って行くと、三の丸・二の丸とあって、最後に本丸がある。
本丸から球磨川に向かって石段を下る。この城は球磨川をも堀の一部として使っている。流れに面したところに「水の手門」があった。
ここから長い橋で球磨川を渡る。左折すると「お茶蔵」があった。人吉には蔵が多く残っているらしいのだ。これを巡る楽しみもある。
真っ直ぐに東に向かって歩いて行く。雨の中なので、傘をさして歩いて行く。風はなくて、雨もそんなに強く降ってるわけではないのだが、それでもけっこう濡れる。
JRの線路を渡って左折し、今度はくま川鉄道を渡ると願成寺である。
ここには人吉の城主、相良家歴代の墓があるのだ。
寺の後ろの小高いところに大きな古い五輪の塔が並んでいた。
寺から西に向かって歩いて行く。

途中、元巨人軍監督川上哲治の生家跡にも寄ったが、ただ看板があるだけであった。
大信寺の山門を見て真っ直ぐに歩いて行く。
山の幸蔵とみそ・しょうゆ蔵に寄った。みそ・しょうゆ蔵は製造工場の見学であった。私は蔵を見たかっただけなのだが。
JR駅の北に、岩窟がある。大村横穴群という。ガイドブックには名前だけが書かれてあって、住居跡かと思っていたら、これが古墳なのだ。
そして横穴の入り口に装飾が刻まれている。これはけっこうすごいものであった。
線路を陸橋で渡って、駅前広場に出る。
駅によって、スタンプを押させてもらった。
駅前から真っ直ぐに南下して行くと、青井阿蘇神社がある。
たいして期待していなかったのだが、ここの山門と本殿は重要文化財なのだ。いずれも屋根は茅葺きである。
ここには司馬遼太郎も訪れていて、この神社のことを「街道をゆく」で書いているのだ。
人吉橋で球磨川を渡って永国寺につく。ここは西南戦争のときに西郷隆盛が本陣とした寺なのだ。
このお寺は本堂に自由に入ってくれとあって、幽霊の掛け軸があった。昔、本当にこの寺の池に幽霊が出たらしいのだ。
永国寺から真っ直ぐに東に向かう。途中武家屋敷があったが、今日は拝観をさせていなかった。
老神神社に寄った。ここの本殿も重要文化財に指定されているのだが、そんなにいいもなだとは思わなかった。
このあたりには球磨川の支流が流れ込んでいて、その向こうに人吉城の隅櫓を見ることができる。再建したものである。
大手橋を渡って城の一角に入る。そこには市役所があって、その奥が私が車を停めたところである。
9時半に歩き始めて、12時半になっていた。
雨の中の人吉観光であった。
今、近くの温泉にきて、その休憩室でパソコンを打っている。もう4時になるところだ。


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人吉城のお堀


人吉城の石垣


水の手門跡


お茶蔵


青井阿蘇神社


武家蔵


老神神社





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