豊後高田はレトロな昭和の町として、最近脚光を浴びているのだ。昭和の町として売り出したのは平成13年のことで、それまでは寂れる一方の地方の町が今では年間40万人も訪れる九州屈指の観光地になったのだ。
私は古い町並みが大好きなので、この町をじっくりと散策したいと思っていたのだ。
「昭和ロマン蔵」に展示された鉄腕アトムや鉄人28号にはただただ感激。子供のころを思い出してしまった。


 三角ロータリーから新町二丁目へ





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2011年10月2日

車を走らせて、豊後高田の市街地に着いたのは
11時半ころであった。
豊後高田は江戸時代から海上運輸の要衝で、昭和初期も京阪神に向かう船舶が数多く停泊するという賑わいをみせていたのだ。でも、その後、時代の波に取り残されて、犬と猫しか通らないといわれるほど寂れた町になってしまったのだ。平成13年から町おこしで商店街を新しくしようとしたのだが、昭和30年代以前の古い建物が7割も残っている状況で、建て替えが遅々として進まなかったのだ。そこで、逆転の発想で、古い町並みを生かすことにしたのだ。
私のような昭和25年生まれでは、この昔の町並みがたまらなくうれしくなってしまう。午後いっぱいの時間を使って散策してしまった。
市の北に三角のロータリがあるのでここに車を停めた」ここから南向かって歩いて行く。
途中、鍵型に曲がるが、賑やかな通りに出る。東西に伸びる新町二丁目である。




 駅前通りから昭和ロマン蔵へ


昭和ロマン蔵入口


ボンネットバスが停まっていた


新町二丁目である。少し西に歩いて左折。駅前通りを南に向かって歩いて行く。突き当りがバスターミナルで、ここに昭和ロマン蔵がある。もちろん、入館する。
ここには北蔵・東蔵・南蔵の三つの棟があるのだが、南蔵はレストラン、私が入館したのは北蔵の「昭和の夢町三丁目」と東蔵の「駄菓子屋の夢博物館」である。
まず、東蔵の前にはオート三輪車「ミゼット」などの昔の車が並んでいて、これでまず感動してしまった。
北蔵に入ると、昔の教室が復元されていて、私の小学校のときもこうだったよな…としみじみ思い返してしまった。昭和の夢町には商店街が復元してあって、さらに昭和30年代の家の中も復元されていた。丸いちゃぶ台がなつかしい。東蔵の夢博物館は駄菓子屋のオモチャなど約6万点が展示されているのだ。私は漫画少年だったので、鉄腕アトムや鉄人28号、昔の少年漫画雑誌・週刊誌、うれしくて涙が出そうになった。
外に出たら、さっきはなかったボンネットバスがターミナルの前に停まっていた。




 新町〜中央通り→宮町通り




道の駅くにみに泊まった


昭和ロマン蔵からは駅前通りの1本西の道を北上して、稲荷通りにぶつかる。この道を東に行くと新町二丁目で、これをどんどん歩いて行くとY字路に着く。ここを左に行くと中央通りである。桂川にかかる桂橋まで行って引き返した。南に引き返してゆくと、宮前通りと交叉する十字路に着く。ここから西に向かうと、車を置いた三角ロータリーに戻る。
この日は、国東半島の北端にある「道の駅くにみ」に泊まった。


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