埼玉県13 高原牧場を通るみち
かまぶせやま

標高 582m
日本の里→1:15→日本水→20分→釜伏山山頂→15分→釜山神社→33分→登谷山→25分→皇鈴山→30分→釜伏峠→8分→関所跡→40分→日本の里

この登山は釜伏峠から二本木峠に連なる長大な山稜歩きが面白いのであって、正直、釜伏山一つではなんのおもしろみもない。そしてこのルートは関東ふれあいの道でもある。日本百低山にも選定されているが、これは日本水が湧き出すすさまじい大岩壁が目玉なのだ。
日本の里付近から見上げる釜伏山

 日本の里から日本水へ
日本の里駐車場


日本の里から車道に出る


錆びて読めない標柱が立っていた


日本水まで750mの標柱


日本水へは立入禁止だった


日本水

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2010年64

「道の駅はなぞの」から車を走らせて「日本の里」に向かったが、カーナビが動かないので何度も停車して道路地図を確認した。それでもなんとか日本の里に着くことができた。
日本という字はヤマトと読むのだ。今日登る釜伏山は小林泰彦の選定する日本百低山の山である。標高は低くても、けっこう登りごたえがあり絶景があったりで、好きなのだ。今回はどんなすばらしいことがあるのか、楽しみである。

日本の里はレストハウスのようなところなのだが、今日は定休日であった。安心して車を停めることができる。駐車場から遊歩道を歩いて行く。右に川の流れをみて、樹林の中を行くと、バーベキュウハウスや東屋があったりで、観光施設が充実している。川を右に渡って、階段を上ると車道横の広場に出た。
ここでは広い車道が三本合流しているので登山道はどっちだと迷ってしまうが、ちゃんと指導標があった。歩いて行くとみかん園や釣り堀の看板が多かった。
車道を20分ほど行くと「日本名水百選」の説明板が立っていて、ここで細い道が左に分かれている。指導標には「花山コース」となっている。これが釜伏山に通じているのかどうかわからないのだが、たぶん大丈夫だろうとこの道を行く。簡易舗装された林道を15分ほど行くと、左に山道が分かれる。ここにはさび付いて文字が読めない鉄柱が立っている。これが日本水への道らしい。
この先、土の山道になった。やっと登山である。
道は丸太の急な階段道になって、5分ほど急登してピークに着くと、日本水まで750m書かれた標柱がたっていた。
丸太を組んだ階段を登るとロープが下がる急登であった。これを越えると平坦な尾根の上で、そこには「埼玉県指定天然記念物 ゴヨウツツジ自生地」と刻まれた石碑がたっていた。ここからは下の集落や遠くの山々を展望することができる。でも、山の名前はよくわからないのだ。
自然林の尾根を15分ほど行くと尾根の右にロープが張ってあって、立入禁止の看板が立っている。ここが名水日本水の入り口でなのだが、「日本水の水源は岩盤の崩落が予想されるので立入を禁止します」と書かれている。あきらめようかと思ったのだが、小林泰彦の日本百低山では、この日本水がメインで紹介されているのだ。ここを訪れなかったら何のために釜伏山に登るのかわからなくなってしまう。ロープの向こうの道はしっかりしているので、用心しながら行ってみることにした。
樹林の中を緩やかに下って行くと、すさまじい岩壁が見えてきた。そそり立つ絶壁は黒い岩ですごい迫力である。これが崩れるおそれがあるのかと思うと逃げ出したくなってしまうのだ。でも、道に落石などは転がっていないので、恐る恐る絶壁の下まで行った。
岩壁の下には名水百選などと刻まれた石碑がいくつかたっていて、期待の名水が流れ出ている。でも、「この水は湧水なので沸かして飲んでください」という標識がたっていた。この標識は無視して、すくって飲んでみたら、確かに名水といわれるだけあってうまかった。
それにしてもすさまじい絶壁である。頭上に覆い被さるようにそびえている。崩れたら怖いので、早々に引き返した。



 釜伏山山頂から釜伏神社へ
ロープの急斜面を登る


見晴台休憩地


釜伏山山頂


釜伏山から下る


釜山神社


来るときは気づかなかったのだが、帰り道でこの周辺がカタクリの自生地になっていることがわかった。でも、残念ながらカタクリの花はもう終わっているのだ。

登山道に戻って、釜伏山を目指す。この先は本当に険しい登りになった。さっきの日本水ですさまじい岩壁をみているので、岩場があるかもしれないと予想はしたのだが、本当にすごい登りになった。
まず尾根に巨岩の重なりが現れて、岩壁の横を過ぎるとロープの張られたトラバース、スラブをロープにすがって登ると樹林から抜け出して、展望が得られた。ここが展望地かと思いながら、さらに露岩の尾根を5分ほど登ると「見晴台休憩地」の標識があった。でも、ここは樹林に囲まれていて、とても見晴台とは思えない。
このすぐ先の樹林の中に石の祠がたっていた。祠の前には狛犬もあって、注連縄が張られている。祠の台座に「釜伏山582m」という標識があった。ここが山頂なのだ。
祠の両側にたつ狛犬をよく見たら、これは獅子ではなくてオオカミであった。この秩父周辺の神社では犬神を祀るのが一般的なのだ。
まだ745分である。今日の目的、日本百低山の釜伏山に登ったので引き返してもいいのだが、この先に登谷山・皇鈴山と稜線が続いているので、これらの山に登ってから引き返すことにする。本当は縦走してしまいたいのだが、車があるので引き返すしかないのだ。
山頂からは露岩の急な道を下るのだが、ちゃんと手すりが設けられていた。下って行くと鳥居があって、その先には東屋がたっていた。
樹林の中に丸太の階段道が続いている。緩やかなアップダウンをすると、突然、関東ふれあいの道の指導標が現れた。このコースが関東ふれあいの道になっているとは知らなかった。指導標に従って、ここで左折して釜山神社を目指す。直進方向は塞神峠で、関東ふれあいの道はこの峠に下るのだ。
さっそくふれあいの道の説明板がたっていて、この周辺は蛇紋岩でできていることを説明している。日本水の大岩壁も蛇紋岩だったのだ。でも、蛇紋岩は濃緑色で装飾にも使われるというのに、日本水の岩壁は真っ黒な岩だったのだが…。
下に神社の屋根が見えてきて、石段を下ると本殿の横に降り着いた。これが釜山神社だと思うのだが、本殿書面の額には「海四輝威神」と書かれていた。祀っている神様の名前なのか。



 登谷山から皇鈴山へ
釜伏峠


登谷山山頂


車道からの登り口


関東ふれあいの道の指導標、ここから車道に下れる


皇鈴山山頂


本殿前の石段を下って、長い参道を歩いて行く。鳥居をくぐると車道に出て、振り返ると参道の入り口の両側にはオオカミの狛犬がたっている。すぐ右は三叉路になっていて、ここが釜伏峠であった。

ここからは車道を歩いて登谷山を目指す。
12分ほど車道を緩やかに上ってゆくと、左に上ってゆく細い道があった。これが登谷高原牧場の入り口なのだ。
少し上ると広場があって、駐車場や牧場への道が分岐するのだが、そこに登谷山への指導標がたっている。
登谷山への道はコンクリートで固めた細い道で、一応車道なのだろうが傾斜はすさまじく急で、とても車では上れそうにない。
道が平坦になると電波塔の施設が見えてきて、林から抜出したら登谷山山頂であった。山頂には方位盤があるだけで、山名の標識も三角点もなかった。それに方位盤と思ったが、その上面には何もなかった。でも、展望はすばらしい。これから目指す皇鈴山の方向には電波塔のたつピークが見える。あそこまで縦走しなければいけないのだ。
登谷山からは急な道を下る。途中に関東ふれあいの道のプレートがあった。片町山十から長瀞までの17kmがコースとなっているらしい。
傾斜が緩まって、きれいな緑の林の尾根を緩やかに下ると、左右から来る車道の合流点に降り着いた。

車道を少し行くと、新しい関東ふれあいの道の指導標があって、車道から左の細い道に入るのだ。この道にはちゃんと柵も設けられているのだが、樹木が覆い被さっていて、これをかき分けて上らなければいけないのだった。
傾斜が緩まったら、しっかりした尾根道になった。日差しに輝く緑の林を歩いてゆく。尾根道の左下には車道が平行していて、この車道にもっとも近づいたところに関東ふれあいの道の案内板がたっていた。この地図を見ても、コースの状況はよくわからなかった。車道にはふれあいの道の指導標が立っているのが見えるので、帰りは車道を歩こうと思った。
ここから3分ほど歩くと林の中に広場があって、右には東屋が見える。ここが皇鈴山山頂であった。でも、山頂といえるほどの登りはなかったのだが。
東屋からは展望が開けているのだが、遠くの山々は霞んでいてよく見えない。でも、南に武甲山を見ることができた。山肌を採石で削り取られているので、すぐにわかるのだ。
皇鈴山の先には愛宕山・二本木峠と続くのだが、私はここから引き返す。



 関所跡経由で下山
帰りは車道を歩くことにした


釜伏峠から百間平に向かう


関所跡


県道に出た、日本の里は近い


来るときに見たふれあいの道の案内板から車道に降りて、この舗装道を歩いて行った。登谷山から下ったところにあったY字路に行けると思ったのだが、道はヘアピンで右に下って行ってしまう。このヘアピンカーブの手前にコンクリートの階段があったので、これを上ってみた。すぐに踏み跡も定かでない樹林の急斜面で、どうしようかと思ったが、すぐ上に車道があるようなので、強引に斜面を登ってみた。

無事車道に上がることができた。これを少し歩くと、登谷山から降り着いたY字路で、これを左に行く。道から右を見上げると、電波塔のたつ登谷山山頂を見ることができる。
登谷高原牧場の入り口を過ぎて、釜伏峠に戻ったのは107分であった。ここから釜伏山経由で、登って来た道を単純に引き返すのはつまらないので、百間平経由で下ることにした。(本音はあの険しい岩場を下りたくなかったのだ)
釜伏峠から右に行く。車道を歩くのでラクなものである。5分ほど行くと関所跡の説明板があった。釜伏峠は武蔵から秩父に入るための重要な交通路だったのだが、道がすごく険しかったので、旅人の安全をはかるための関所だったらしい。
すぐに百間平と思っていたのだが、なかなか着かない。関所跡から12分ほども歩いて、ようやく指導標のたつT字路に着いた。直進方向が百間平なのだが、私はここから左の車道を下ることにした。でも、この判断は間違っていたかもしれない。車道はヘアピンの連続ですごく遠回りして下って行くのだ。百間平からは山道なので、短い距離で下れたと思うのだ。
ともかくイヤになるほどカーブが連続するので、ショートカットする道はないのかと注意して歩いたが、そんなものはなかった。
20分ほど車道を歩いて、ようやく日本の里の入り口に着いた。おとなしく釜伏山経由で引き返せばよかったと思った。
駐車場の車に戻ったら11時少し前であった。

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