江戸時代に岩国藩で最も栄えた商業の町が柳井である。美しい白壁の町並みが残っているといううので立ち寄ることにした。まったく知らなかったのだが、柳井の名産に甘露醤油があって、本当に甘露といいたくなるおいしい醤油なのだ。この町には国木田独歩もしばらく住んだことがあって、その旧宅も残っている。

町並みふれあい館→白壁の町並み→甘露醤油蔵→宝来橋→商家博物館むろやの園→湘江庵→国木田独歩旧宅→光台寺


町並み資料館
駐車場から町並み資料館へ向かう


柳井のマンホール



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2008年5月13日

柳井は中世・近世を通じて瀬戸内海海運の町として栄え、今も白壁の町並みが残っている。その美しい町並みが見たくて、散策することにした。

柳井にはけっこう観光用の駐車場がある。私は柳井図書館の近くにある公園の駐車場に車を停めた。車道の横にきれいに整備された歩行者道を下って行くと、すぐに「町並み資料館」があった。すごくしゃれた洋風の建物だと思ったら、これは周防銀行本店として明治40年(1907)に建てられたものなのだ。入口には国木田独歩の銅像があった。どうして、ここに独歩の銅像があるんだと不思議に思ったが、独歩は22歳の頃、この柳井に住んでいたのである。
1階には観光案内所があって、散策のためのパンフレットをもらうことができる。白壁の町並みの模型や国木田独歩の肖像写真を見て2階に上がると、そこは松島詩子の記念館になっていた。松島詩子というのは「マロニエの木陰」などの歌謡曲で一世を風靡した歌手なのだが、彼女はこの柳井に1905年に生まれたのである。マロニエの木陰が大ヒットしたのは1937年で、NHKの第1回紅白歌合戦にも出場している。私は昔の写真が好きなので、髪型とか衣装、ポートレートの独特な雰囲気がすごくよかった。




白壁の町並みに入る


商家博物館むろやの園


白壁の町並み


町並みふれあい館は十字路の角に建っていて、車道と交わる路地が白壁の町並みである。資料館の向かいにあるのが「商家博物館むろやの園」だが、中には入らずに外から写真だけ撮った。

車道を渡って白壁の町並みを西に歩いて行く。このすばらしくきれいな白壁の町並みについては、文章で書くよりは写真をみてもらうしかない。こんな町並みが残されているというのは本当にうれしいことである。
私の手元に「歴史の町並」という小冊子がある。町並み資料館でもらったのだが、この冊子には保存整備が急がれる保存地区として、日本全国の67の地区を掲載している。
日本には茅葺き屋根の集落、武家屋敷、土蔵・白壁の商家などの町並みが残っているのだが、この美しい景観を守るために「伝統的建造物群保存地区」制度が昭和50年に創設されたのだ。私は日本全国の山に登るかたわらで、こうした古い町並みをできるだけ訪ねようと思っている。
ただ、古い家に住むというのは、実際に住んでいる人にとってはすごく不便な生活を強いることになるのだが、それを残してくれと望むのは「観光客」のわがままにすぎないのかもしれないのだけど。



甘露醤油蔵
甘露醤油蔵


醸造に使う地下水


やない西蔵


白壁の町並みから右の細い路地に入ると、すぐ先に甘露醤油資料館(佐川醤油蔵)がある。私は去年の四国の旅で小豆島の醤油蔵を訪ねて以来、けっこう醤油に興味をもっているのだ。私は味音痴みたいなところがあって、醤油なんてみんな一緒だと思っていたのだが、小豆島の醤油蔵で買った醤油は確かにうまかった。それで、この柳井名産という甘露醤油にもすごく期待してしまうのだ。

柳井の甘露醤油は天明年間に醸造家高田伝兵衛が創製したもので、藩主に献上したところ「甘露甘露」と賞賛されたので甘露醤油という名がつけられたという。二年以上の歳月をかけてじっくりと仕上げた醤油は、確かに甘くて甘露という名の通りである。お土産に中瓶を買ってしまった。甘露醤油の蔵元は市内に三軒あるらしい。蔵の前には醤油の仕込みに使っているという地下水の水場があった。飲んでみたらうまかった。
甘露醤油というのは鉄道唱歌にも
風に糸よる柳井津の
港にひびく産物は
甘露醤油に柳井縞
からき浮世の塩の味

と歌われるほど有名なのだ。私は知らなかったのだが。
この資料館の向かいには「やない西蔵」という体験工房がある。金魚提灯制作、柳井縞の機織り体験、染色体験ができるというのだが、休館日で門は閉じていた。この建物は大正末期に建てられた白壁の醤油蔵なので、写真だけでも撮りたかったのだが…。
町並みを散策して宝来橋に着いた。
今はごく普通の橋なのだが、江戸時代には柳井川にかかる唯一の橋だったため、すごく賑わったところなのだ。川岸には享和3年(1803)に築かれた石垣が残っていて、商品を船から降ろすのに使われて石段も設けられている。石灯籠とお地蔵様がたっていた。




湘江庵の門


町並みふれあい館の国木田独歩像


国木田独歩旧宅

国木田独歩


白壁の町並みを東に歩いて湘江庵に着いた。小さなお寺なのだが、ここには柳井の地名の由来となった柳と井戸がある。

今から1400年前、豊後の国に住んでいた般若姫は用明天皇に迎えられて上京する途中に水を求めてこの柳井に立ち寄ったのだが、ここに湧き出る清水を飲んだあとで柳の楊枝を清水の傍にさしたところ、これが一夜ににして芽をふいたという。井戸のそばの柳はとても樹齢1400年とは思えないのだが…。
ここから民家の間の路地を歩いて国木田独歩の旧宅に向かった。
国木田独歩は22歳のころ、18922月から2年間ここに住んでいたのである。たった2年かと思ってしまうのだが。独歩は千葉県の銚子に生まれ、父が司法省の役人になったため、一緒に中国地方の各地を巡ることになったのである。そうしたことから柳井にも縁があったのかもしれない。
独歩の旧宅から北に向かって細い道を行くと、中国風の楼門が見えてくる。光台寺の楼門で、独歩は旧宅からここまでよく散歩をしたらしい。門の下で手をたたくとワンワンと反響することから「ワンワン寺」とも呼ばれるというので、私も手をたたいてみたが…ワンワンという音は返ってこなかった。
これで柳井の散策を終えて駐車場に戻った。ところが雨が降り出した。歩き始めたときは晴れていたので傘を持ってこなかった。急ぎ足で駐車場に向かう。ようやく車に戻ったとき激しい雨になった。滑り込みセーフである。


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