BACK 横浜 開化の道
2008年9月9日
山下公園通りから石段を上って、人形の家の前に出る。ここから大きな陸橋で「港の見える丘公園」に渡る。この陸橋は「フランス橋」というのだ。橋の上から振り返ると、横浜マリンタワーがすぐ近くに見えた。
橋のたもとには「フランス領事館時代」という説明板があった。ここにフランス領事館があったのだが、関東大震災のときに倒壊してしまったのだという。
丘への上り口に「横浜ボーリング発祥の地」の記念碑があった。元治元年(1864)のことだという。明治維新前のことで、ボーリングってそんなに昔からあったのかと驚いてしまった。
樹林の中、石段を上るとフランス山に着く。幕末、攘夷浪士による外国人襲撃事件が続いたので、自国民の保護と居留地の防衛のために、フランスはここに海兵隊を駐屯させたのである。明治8年(1875)に撤退するまでの12年間、ここにフランス海兵隊が駐屯していたことからフランス山と呼ばれたのだ。
フランス山の風車という説明もあった。井戸水を汲み上げるための風車があったというのだが、今は樹林の中に瓦礫のような遺構が残るだけである。
林から抜け出すと展望が広がる。ここからは横浜ベイブリッジなど、横浜港が一望できるのだ。「港の見える丘公園」という名前の通りである。
公園を東に歩いて行くと噴水があって、日時計もある。自分の時計と比べてみたら、日時計の時間はかなり正確であった。
公園の先には「大佛次郎記念館」がある。大佛次郎は明治30年(1897)に横浜で生まれ、代表作には鞍馬天狗があるのだが、私はドキュメント小説の「天皇の世紀」や「パリ燃ゆ」のほうが印象深いのだ。赤煉瓦と白壁の建物で、その前に猫の置物があった。大佛次郎は猫が大好きだったのだ。
バラ園の中の階段を上って行くと、しゃれた洋館がたっている。山手111番館で、大正5年(1916)にアメリカ人両替商のラフィンの邸宅として建てられたものなのだ。
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