常念寺から車を走らせて山口市街に戻る。さて、どこに車を停めようかと悩んだが、私立図書館・美術館の無料駐車場があったので、ここに停めることにした。ただし、19時には閉鎖されてしまうので、それまでに戻ってこなければいけない。
山口という街は、室町時代にこの地方を支配した大内氏が政庁を置いたのだが、山内氏は京にあこがれて、京と同じ町並みを造営し、さらに京から多くの公卿や文化人を招いたのである。西の京と呼ばれるほどの文化の花が咲いたのだが、その名残が最後に訪ねるつもりの瑠璃光寺である。
駐車場を使わせてもらったので、まず美術館に行った。
次にこの美術館の後ろにある山口ザビエル記念聖堂へ行く。近いと思ったら聖堂は山の上にあって、しかも道はすごく遠回りするのだった。
坂道を登って行くと、近代彫刻のようなすごいオブジェがたっているのが見える。いったいこれは何だと思ったら、これがザビエル記念聖堂であった。私は30年ほど前に山口を訪れたことがあるのだが、そのときはすごく歴史を感じさせる教会だったのに、いったいこれはどうしてしまったのだと思う。
教会の入り口手前にはザビエルの銅像がたっていた。これは昔と同じである。
「井戸端で説教するフランシスコ・ザビエル」の像である。ザビエルは毎日二回、山口の大殿小路という通りに出かけて、そこにあった井戸端で布教活動をしたのだという。
ここから右折して聖堂に向かうと、目の前にはすさまじい近代建築がそびえていた。これが教会とはとても思えない。かっての聖堂は1952年に建てられたのだが、1991年に焼失してしまったのである。そして、今の聖堂は1998年に再建されたものなのだ。
建物は真っ白な三角形である。これは聖書に記された「神の幕屋(テント)」をイメージしているのだという。そして屋根には煙突のような四角い塔が二本たっている。
左は時計塔で、上のオブジェは世界に平和をもたらすキリストを意味している。そして左は鐘塔で、そのオブジェは天からのメッセージを表しているのだという。私には抽象的すぎてよくわからない。
中に入るとまず「クリスチャン記念館」で、ザビエルの手紙などが展示されていた。もちろん中は撮影禁止なので、写真で紹介することはできない。
礼拝堂も近代彫刻のような造りで、ステンドグラスも抽象画である。私には、どうにも信仰の対象ととしての重厚さ、神聖さがないように思えてしまうのだが、今の感覚ってこんなものなのだろうか。
記念聖堂からさらに登って行くと、山頂はきれいな公園になっていて、毛利敬親の銅像がたっていた。毛利敬親は幕末の長州藩主で、この藩主のもとで薩長同盟・倒幕が行われたのである。江戸時代、長州藩の政庁は萩にあって、山口は周防国の一地方町にすぎなかったのだが、文久3年(1863)に毛利敬親は藩庁をこの山口に移転したのである。そのおかげで、山口県の県庁はここになったのだから、銅像がたてられて当然なのだ。
この公園からは瑠璃光寺の五重塔を眺めることができた。
公園から急な石段を下ってパークロードに降り立つ。樹林の広い道を北に歩いて行くと、左に山口県立博物館があった。私は博物館が好きなので入りたかったのだが、もう時間は17時になっていて入館はできなかった。博物館の前の広場にはSLが展示されていた。
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