宇和島駅→宇和島きさいやロード→藩老桑折氏武家長屋門→井戸丸跡→宇和島城天守閣→上り立ち門→児島惟謙先生像→宇和島駅

宇和島市の街の真ん中に城山があって、その上に天守閣がそびえている。この城は豊臣時代に藤堂高虎が築いたものだが、徳川の世になってから入城したのは独眼竜と呼ばれた正宗の長男伊達秀宗である。この伊予伊達藩は幕末になって、四賢候の一人伊達宗城を出だすことになる。
宇和島城天守閣

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2002年816

今日が今年の夏山、最後の日である。
滑床行きのバスが出るのは835分、その前に宇和島城の観光に行くことにした。
430分、空がうっすらと明るくなってくる。今日は天気がよさそうである。
5時半、駅に明かりが点いて、駅構内に入れるようになった。
6時にコンビニが開いた。さっそく弁当を買いに行った。これが朝食である。
考えてみたら、まともな飯をずうっと食べていない。昨日、松山駅で食べた立ち食いソバもうまかったけど、今朝のコンビニ弁当も本当にうまかった。ふだんはちっともうまいと思わないのだが。
まず、コインロッカーに余分な荷物を預けてしまうことにした。テントなどの野営の道具をロッカーに入れてしまったら、ザックがものすごく軽くなった。
6時半、駅を出発。昨日、飽きるほど宇和島市内の地図を見てしまったので、だいたいの地形が頭に入っている。
駅前はすごく南国的で、棕櫚の並木が続いている。
街並みの上に宇和島城が見えた。
この城の風景は松山城に似ていると思う。小高い山の上にあって、その天主が街のどこからでも眺めることができるのだ。
大きな道路から標識に従って細い道に入ると観光客用の駐車場がある。その横の本当に細い道を行くと門があった。
りっぱな大手門を想像していたのだがそうではなかった。長屋門みたいな門である。
これをくぐって、石垣の間の石段を登って行く。
途中に井戸丸というのがあって、本当に井戸があった。城においては水を確保するというのは本当に大事なことで、篭城しているときにこの水の手を切られると落城するしかないのだ。宇和島城には3つの井戸があるのだそうだ。
この宇和島城を作ったのは藤堂氏である。
藤堂高虎といえば、関ヶ原の合戦の立て役者でもある。
藤堂高虎は豊臣秀吉による朝鮮出兵で、この戦目付けをした石田三成と激しく対立した。
秀吉の死後、石田三成を討ち取ろうと、伏見で兵を動かしたりしている。
関ケ原の合戦は、豊臣政権の中の石田三成を代表とする官僚派と藤堂、加藤清正の武闘派の派閥争いといってもいい。そこに便乗したのが徳川家康である。
本来は、藤堂高虎も加藤清正も豊臣秀吉の子飼いの大名で、豊臣家を滅ぼそうという気はまったくなかったはずなのだ。それが、徳川家康にまんまと乗せられてしまったというわけである。
そして、この藤堂高虎にしろ加藤清正にしろ、これら武闘派の大名は、秀吉の薫陶を受けていただけあって、築城がうまかったという。
この宇和島城も、藤堂高虎が造った城だけあって、名城である。
藤堂家は結局、徳川によって取り潰されてしまうのだが、この城を譲り受けたのが伊達家であった。
伊達といったら仙台の伊達政宗をすぐに思い出すのだが、この宇和島の伊達家は正宗の長男が興している。
宇和島の伊達は幕末に、極めて開明的な主君を迎える。第八代藩主伊達宗城である。
幕末に四賢候といわれる開明的名君がいた。越後の松平春嶽、土佐の山内容堂、薩摩の島津斉彬、そして伊達宗城である。
この宇和島藩は、日本でもっとも蘭学の盛んな地であった。
日本人は黒船来襲で初めて蒸気船を見ることになったが、その蒸気船を見よう見まねのまま、国産で作ろうとしたのがこの伊達宗城である。
司馬遼太郎の小説「花神」の主人公、村田蔵六は招かれてこの宇和島にやってくる。そこでおこなったのが蘭学書から蒸気機関のことを調べあげることだった。日本で最初の国産蒸気船は、この宇和島湾に浮かぶことになる。
そうしたことを思いながら、天守閣に向かって石段を登って行く。
天守閣広場からは宇和島のリアス式の湾を望むことができる。空は晴れていて、海が青い。
天守閣は白く、本当に美しい造りである。中は博物館になっているらしいのだが、朝早いために入り口の門は閉ざされていた。
帰りは、登ってきた道と逆の方向に下りた。
今、この城は石垣の改修工事の真っ最中であった。藤堂が築城した名城とは言え、建てられてから400年以上が経過している。石垣も崩れる危険も出てくるだろう。
天守閣に登る道はたくさんあるようだが、そのほとんどが通行止めになっていた。
石段を下っていくと、道の傍らに「標準点」というのが立っているのを見つけた。三角点のようなものなのだが、それがこんなところに置かれているのは珍しいと思う。
門をくぐると、広い車道に出る。風景は一変して、そこはもう街の中であった。
門を出たところに銅像が立っていた。児島   の銅像なのだ。
さて街に出たが、どっちに行ったらいいのかわからない。
近くの家の人に訊いてみると、ものすごく親切に教えてくれた。宇和島の人はなんていい人ばかりなんだろう。
駅に向かって歩いていくと、アーケードの商店街があった。この中を通っていく。
朝早いので、どの店もシャッターを下ろしたままである。このアーケード街では、飾り付けとして上から大漁旗がいくつも下げられていた。
宇和島は魚港の街でもあるのだ。
大漁旗というのは、ほとんど原色のすごく派手な旗なのだが、いくつも見ながら行くと、けっこう面白い。デザインも面白いのだが、原色だけの配色も決して悪くないような気がする。
駅に戻ってきたら7時半であった。
あとは、登山用の食糧をコンビニで買い出して、常滑行きのバスを待つばかりである。


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城の入り口の長屋門


長い石段を登る


井戸丸


本丸直下は工事中だった


宇和島湾が見える


宇和島城天守閣


天守御殿跡


天守閣広場


本丸から下る


八束兄弟生家長屋門


水準点


児島惟謙の銅像


宇和島きさいいやロード





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