2011年10月8日
サーラ・デ・うすきの広場から外に出ると善正寺の門があった。
この路地を右に進むと、すぐに大通りに出る。これが臼杵城下のメインストリート、「八町大路」である。



←サーラ・デ・うすき


←善正寺の鐘楼門

浄土真宗本願寺派の寺院で慶弔7年(1602)に創建された。
開基の願了法師は天正18年に美濃から臼杵にやってきた。
本尊は美濃から伝来の阿弥陀立像。
享保17年(1732)の火災で寺院は焼失したが、寛保4年(1744)に仮普請で再建して、現在に至っている。
 八町大路
大通りに出た。
これが八町大路(中央通り)である。
桃山時代から現代まで続く歴史ある商店街なのだという。

この中央商店街は昭和28年に本町商店街と畳町商店街がひとつになったもので、八町大路の呼称は一般公募で決められたものらしい。

慶長5年創業のカニ屋

味噌醤油の富士屋甚兵衛
 「石敢當」の石塔
バス停の横に大きな石碑が立っていた。
「石敢當」と刻まれた立派な石碑である。
「せっかんとう」と読むらしくて、唐の時代に始まったもので、
この三字を刻んで路傍や橋畔の置くと災いを除いてくれるのだという。
 路地から寺院・長屋門
←法音寺の山門


臼杵城主の稲葉一通公が小倉城主の細川忠興公の姫君を正室に迎えるために、その菩提寺といて建立されたのがこの寺院。
迎えた姫の名前は「たら」といって、美人で有名な細川ガラシャの娘なのだ。
←旧後藤家長屋門



二王座歴史の道を北に向かって歩いてゆくと、すばらしく立派な長屋門があった。
臼杵藩の家老だった後藤氏の長屋門として江戸時代に築かれたものである。
長屋門は上級武士の住宅の表門であり、門の両側部分に門番の部屋や仲間部屋が置かれ、家臣や使用人の住居として利用していた。
旧後藤家長屋門から少し行くと広い通りに出て、すぐ前に臼杵城がそびえていた。
これで臼杵城下の散策は終了である。
後は港町商店街を歩いて、臼杵城卯寅口入り口から卯寅口稲荷神社を見上げて、そして駐車場に戻った。まだ13時前であった。
←卯寅口門脇櫓と卯寅口稲荷神社へ続く鳥居


観光を終えたのがまだ13時だったので、有名な臼杵石仏の観光に行こうかと思ったのだが、何度もたずねているので今回はパスして、このまま南に向かうことしした。国道10号線を走ってゆくと、道の駅北川はゆまがあったので、ここに泊まることにした。



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