稲荷大社から車道を行くと、津和野城址へのリフト乗り場がある。普通だったら歩いて登るのだが、時間がもう16時を過ぎているので、リフトで往復することにした。
津和野城は鎌倉時代の永仁2年(1295)に吉見頼行公が30年がかりで築いたもので、その後、柿崎出羽守が16年、亀井氏が11代225年間城主となったのだ。標高367mの山の上に築かれた典型的な山城である。おかげで、私はリフトで山上の城跡に向かわなければいけない。
山上のリフト駅から広い階段の道を上って行くと、すぐに中世(吉見氏時代)の堀切址があった。でも、古いのであまりはっきりしない。
ここから少し上ると石垣があって、その上が広場になっている。これは柿崎出羽守がつくった出丸の址なのだ。織部丸という。ここからの眺めは素晴らしくて、下には津和野の市街を箱庭のように観ることができ、その上には青野山が大きくそびえている。
出丸から少し下った鞍部には「中世山城津和野三本松城跡」という説明板がたっていた。鎌倉幕府は蒙古襲来の後、山陰の海岸線防備を吉見氏に命じたのである。吉見氏は津和野に地頭として入ってここに山城を築き、以後、14代300年間にわたって津和野を治めたのである。でも、関ヶ原では毛利氏とともに西軍に与したため追われて、その後に入ったのが坂崎出羽守である。
ここから石を組んだ階段を上って行くと、大規模な石垣群が見えてくる。これが柿崎出羽守によって築かれた津和野城の跡である。
高い石垣の間を上って、天守台の下に着く。ここから左には「馬立跡・台所跡」があるのでいってみた。草が生い茂る広場があって、そこに標識がたっているだけであった。
天守台に上ると、樹林の中であまり展望はない。この奥に展望の開けた草原の広場があった。これが三十間台で、青野山をきれいに展望できた。
太鼓丸から二の丸を通って天守台下に戻った。
リフト駅に戻って、帰りもリフトで下った。時間はもう16時40分を過ぎていて、日がだいぶ傾いてきている。
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