円福寺→福善寺→鞆の津の商家→鞆城跡→古い家並み→太田家住宅→いろは丸展示館→常夜灯→平賀源内生祠→医王寺→寺町筋→山中鹿之助首塚→ささやき橋→沼名前神社(能舞台)→備後安国寺(釈迦堂→枯山水庭園)→むろの木歌碑→対潮楼

鞆ノ浦は福山市の南、沼隈半島の先端にある町で、2000年も前から風待ちの港ととして栄えた港町なのだ。町の中の道はすごく狭くて、車では通り抜けるのに苦労するほどなのだが、その商家のたたずまいはすばらしい風情があって、楽しい散策ができるのだ。


 円福寺界隈
道の駅アリストぬまくら


海に面して車を停めた


円福寺入口


福禅寺



BACK 尾道 東部

2009531

もう仙台に帰ろうと思っているのだが、せっかくなので観光をしながらフェリーの出航する名古屋まで行こうと思っている。
尾道から東に車を走らせて「道の駅アリストぬまくら」に泊まった。そして、今朝は一番に鞆ノ浦にやってきた。鞆ノ浦で驚いてしまうのは道の狭さである。私は軽自動車に乗っているのだが、あまりの狭さにすごく緊張して運転しなければいけなかった。交差点では切り返しもしなければいけなかった。もちろんすれ違いなんて不可能である。
ノロノロと車を走らせて、なんとか鞆港のバス停のあるところまでやってきた。駐車場がなくて困ってしまうのだが、海に面して少しだけ隙間があったので、ここに停めた。
南から湾が入り込んでいるのだが、東に岬が突き出ている。まずここからめぐることにした。
冗談だろうと思うような細い路地を歩いて、急な石段を上ると円福寺に着く。ここは古い城跡でもあるのだ。その当時、ここは島で、村上水軍の一族がこの地に大可島城を築いていたのである。本堂は大きくりっぱなものである。境内に、芭蕉の句碑があった。
  疑な うし保の花も 浦の春
当然、この鞆ノ浦で詠んだ句だと思ったら、伊勢の二見ヶ浦の絵に寄せた句なのである。なんだ…と思ってしまう。
でも、ここからの海の眺めはすばらしくきれいであった。
来た道を引き返して福禅寺に行った。この道がまたすごく狭い道で、本当にお寺に行けるのか心配になってしまった。狭い路地の間から甍の大きな屋根が見えてきてほっとした。
福禅寺は平安時代の創建という古いお寺で、ここで有名なのは元禄時代に立てられたという対潮楼なのである。鞆ノ浦は古来、風待ちの港として栄えたのであり、江戸時代の朝鮮使節もここに宿泊し、この対潮楼からの眺めを絶賛しているのである。
私も、是非この楼閣から鞆ノ浦を眺めたかったのだが、まだ朝早いので拝観は始まっていなかった。
福禅寺から細い路地を行くと「櫻や」という看板の民家があった。「この家は江戸時代中期の建物です」という標識がたっていた。ご自由にお入りくださいというのだが、朝早くて開いていなかった。でも、見た目は普通の民家である。




鞆の津の商家


城山への上り、石垣が残っている
 鞆城界隈


白壁の土蔵の横を通って、広い道に出ると、そこには本当に古い民家がたっていた。「鞆の津の商家」という案内板がたっている。江戸末期の商家で、福山市の重要文化財に指定されている。この家の前にある駐車場の横から鞆城に登って行く。
急な坂道には石垣が残っている。鞆城は毛利元就が築いたのだが、その規模はすごく大きくて、東の端はさっきお参りした福善寺まで、北はこれから行く沼名前神社まであったのだ。この丘陵を利用して二の丸、三の丸が築かれていたのである。毛利氏のあと、安芸・備後の領主となった福島正則が慶長5年(1600)に改築したのだが、元和元年(1615)には一国一城令によって、廃城となってしまったのだ。今見ている石垣は復元したものなのだ。振り返ると、さっき見た古い商家を一望することができる。
坂道を上ったところに建っているのが「福山市鞆ノ浦歴史民俗資料館」である。入りたかったが9時からなので、まだ閉まっていた。山上の広場には宮城道雄の銅像がたっていた。宮城道雄は神戸の生まれなのにどうしてここに銅像があるのかと不思議に思ったが、彼の代表作の「春の海」は、ここから見える鞆ノ浦の海にインスピレーションを得て創られたのである。



 古い町並み
白壁の路地を行く


いろは丸展示館


城山から急な坂道を南に下って行く。街の中に入ると、すごい町並みであった。白壁板張りの土蔵や古い商家が軒を連ねている。これは写真でみてほしい。

海を目指して南に歩いて行くと、「太田家住宅」があった。
文久3年(1863)の政変によって京を追われた三条実美ら七卿は長州を頼っての途中、この太田家に4日間滞在したのである。さすがにすばらしく重厚な造りで、今は国の重要文化財に指定されている。
このすぐ先が海であった。港に面して広場になっていて、その先には常夜灯がたっている。広場の右には土蔵がたっているのだが、これは「いろは丸展示館」であった。いろは丸というのは坂本龍馬が主宰する海援隊の所有する船で、この船が紀州藩の船と衝突して、鞆ノ浦に曳航中に沈んでしまうのだ。坂本龍馬は徳川御三家の紀州を相手に賠償交渉を行ったのである。その当時の資料をここで展示しているのだ。
それにしても、ここの雰囲気はすばらしくいい。鞆ノ浦を代表する景観だと思う。




医王寺をめざす


医王寺仁王門


医王寺から狭い石段を下る


ささやき橋


 寺町界隈


ここから西に向かって歩いて行く。古い町並みがつきると右折して、丘に向かって登って行く。この途中に平賀源内生祠があるので立ち寄った。平賀源内が長崎からの帰りに鞆ノ浦に立ち寄ったのだが、その時ここで陶土を発見したのである。そしてオランダや中国の陶法を取り入れた「源内焼き」の製法を伝えて去ったのである。その時、土の神・窯の神・平賀源内大明神を祀るように伝えたので、宝暦
4年(1754)にこの生祠が建立されたという。生祠というのは、生存中に神として祀ることなのだ。団子のような石塔であった。
ここからさらに坂道を上ると高い石垣の塀が見えてきて、これが医王寺であった。仁王門をくぐった先には急な石段があって、これを上り切ったところには石の鳥居がたっていた。神仏混淆のお寺なのだ。平安時代に弘法大師が開いたという古刹で、本堂は貞享20年(1685)に再建されたものだという。境内に咲くツツジはすごく美しいというのだが、少しだけ咲いていた。その中に古い十三重の石塔がたっていた。それにもましてすばらしいのは境内からの鞆ノ浦の展望である。ため息が出るような美しい眺めであった。
医王寺から石垣の塀の間の狭い道を下って行き、平坦になったところで左折すると、その先は寺町であった。いくつものお寺が並んでいて、白壁の長い塀が続く。
道が鍵形に曲がるところに、石の柵がに囲まれた石塔があった。山中鹿之助の首塚であった。
山中鹿之助は、出雲地方を支配した戦国大名尼子氏の家臣である。尼子氏は毛利に寄って滅ぼされてしまうのだが、その再興のために頑張ったのが山中鹿之助なのだ。「願わくば我に七難八苦を与えたまえ」と月に祈ったというのだが、結局毛利によって首をはねられてしまうのだ。将軍足利義昭がここで首実検を行って、手厚く葬ったという。
このすぐさきに、「ささやき橋」と名が彫られた小さな石橋がかかっている。応神天皇の頃の話しで、百済使節の接待役であった武内臣和多利と官妓・江の浦が、役目を放り出して逢い引きを重ねていたのだが、そのため二人は海に沈められてしまったのだ。恋をささやきあった橋というわけである。



 沼名前神社から港へ
沼名前神社参道


沼名前神社


備後安国寺


ボンネットバスが走っていた


ここからさらに北に歩いて行くと、左に大きな鳥居がたっている。沼名前神社である。すごく長い参道がが続いている。広い石段の途中には神門があって、さらに石段を上って本殿前に着く。この神社は仲哀天皇
2年(193)に神功皇后によって創建されたという古社であるが、拝殿は鉄筋コンクリート造りであった。でも、この神社の境内には重要文化財の能舞台があるのだ。豊臣秀吉の伏見城にあったものを初代福山藩主の水野勝成が二代将軍徳川秀忠からもらい受けたのだそうだ。すごく楽しみしていたのだが、舞台は板塀で閉じられていて、どんなものなのかよくわからなかった。ここから石段をあがると社殿が二つ並んでいた。
参道を引き返して、備後安国寺に向かった。この寺は鎌倉時代の創建当時は金宝寺といったのだが、暦応2年(1339)に安国寺と改称されたのである。
山門をくぐると、狭い境内の左に本堂があるが、この寺での見物は重要文化財の釈迦堂なのである。本堂と小さなお堂の間を抜けると釈迦堂がある。この釈迦堂の中には需要文化財の阿弥陀三尊があるので、拝観させてもらった。金箔の残る三尊の前には僧の像が置かれていた。法灯国師座像でこれも重要文化財なのである。
すばらしい仏像を堪能して、釈迦堂の裏にまわった。本堂跡があるのだが、今は礎石が残るだけである。この左に枯山水庭園があるというの楽しみにしていたのだが、荒れ果てたような庭で、がっかりしてしまった。
安国寺から真っ直ぐに東に歩いて行くと、海にぶつかる。広い車道を南に歩いて行く。海には仙酔島が浮かび、そこに望楼のようなものが見える。
車をおいた近くまできたら、右は高い石垣の壁で、その上に福禅寺の対潮楼の一部が見えた。
この石垣の下には「むろの木歌碑」という万葉歌碑があった。これは大友旅人が太宰府の任期を終えて帰る途中、鞆ノ浦に寄ったときに詠んだ歌なのだ。
 吾妹子之見師(わぎもこがみし)
 鞆浦之天木香樹者(とものうらのむろのきは)
 常代有有跡見之人曽奈吉
        (とこよにあれど
みしひとぞなき)

このすぐ先には私の車が見えた。駐車違反で捕まらずにすんだ。


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