北海道の旅 2011年 


北海道の都市にはそれぞれに開拓の歴史がある。
帯広の観光のため歴史を尋ねようとすると、どうしても開拓の凄惨な過去を知ることになるのだ。
北海道の開拓は他の地域が屯田兵など、国の主導で行われたのに対して、帯広は民間の結社、晩成社によってなされたのだ。明治16年のことである。国から1万町分の土地を払い下げてもらったが、10年で30町分しか開墾できなかったらしい。


 帯広開拓の発祥の地
渡辺勝・カネの入植の地碑


帯広発祥の地の碑


依田勉三の銅像

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2011年7月5日

札内川を渡ると帯広市街地になる。

国道38号線を走ってきたのだが、この国道のそばに「渡辺勝と妻カネの入植記念碑」があるので立ち寄った。
帯広の開拓は、明治16年(1883)に「晩成社開拓団」の入植から始まるのだ。渡辺勝は晩成社の幹部である。ここには記念碑と渡辺夫妻の写真が入った説明板があった。カネは横浜共立女学校英文科第1回卒業生で、英語が極めて堪能な才女であったらしい。そのような才女が帯広開拓とういう困難に挑んだということに感動してしまう。

ここから国道を少し行くと「帯広発祥の地記念碑」があった。記念碑は三方を道路で囲まれていて、しかも、茫々の草が茂っていた。この石碑の裏には

 開墾の はじめは 豚を一つ鍋

という晩成社を立ち上げた依田勉三作の句が刻まれていた。晩成社というのは静岡県松崎町で依田勉三が発起人となって結成した北海道開拓をめざす結社である。帯広開拓は他の地域と違って、民間の組織が行ったのである。

さらに国道を進むと中島公園があって、ここには依田勉三の銅像がたっていた。中島公園の説明板には晩成社の入植者の写真もあった。この人たちが今の帯広の基礎を築いたのである。



 緑ヶ丘公園
十勝監獄石油倉


彫刻のある道を行く



帯広市街地に入って行き、緑ヶ丘公園に着いたのは
1515分頃。公園の西端にある駐車場に車を停めた。
緑ヶ丘公園は広大な敷地に美術館や記念館、彫刻などが置かれる、大正時代からの公園なのだ。
林の中に赤レンガの建物があった。説明板には「十勝監獄石油倉」とかかれていた。このあたりに十勝監獄があったのだ。
林の中に続く歩道を歩いて行く。道の両脇には抽象的な彫刻が並んでいる。私は絵でも彫刻でも抽象的なものはその価値がよくわからないのだ。
林の中を散歩して行くと、帯広美術館の前に着いた。美術館の向かいには「帯広市児童会館」がたっていた。これは青少年のための研修施設らしい。
せっかくなので、美術館を観てゆくことにした。ちょうど、シルクロード展をしていた。北海道まできて、なぜシルクロード展を観てるんだ…と思ってしまうのだが。
このすぐ傍に「北海道集治監十勝分監(十勝監獄)窯跡」の説明板がたっていた。さっき見た石油倉のレンガはここで焼かれたらしい。
この公園には動物園もあるのだが、これは省略した。
あとは引き返したのだが、途中、百年記念館にも立ち寄った。晩成社が入植した明治16年から百年目にあたる昭和57年に建てられたもので、博物館と創造活動センターの機能をもつ複合施設なのだそうだ。




 ビート記念館
ビート資料館



車を走らせて、帯広市街の南にある「ビート記念館」に行った。

ビートというのは甜菜(さとう大根)のことで、砂糖を精製する原料である。十勝の代表的な農産物なのだが、大正9年(1920)に北海道精糖株式会社が帯広工場を建設したのが始まりである。
ビート資料館は日本甜菜精糖株式会社が創立70周年を記念して平成元年にオープンしたものである。企業の宣伝の資料館だったら無料だろうと思ったら300円の入館料が必要だった。でも、砂糖のパックがついてきた。300円はこれで帳消しだ。
中は明るくすごくきれいであった。
外に出ると、敷地内には蒸気機関発電機があった。工場の電力をまかなったものらしい。




 旧広尾線愛国駅
旧広尾線愛国駅


ビート資料館の見学を終えたのは
16時半であった。
これで今日の観光を終えようと思ったのだが、すぐ近くに旧広尾線の愛国駅があるので行ってみることにした。幸福駅は時間をかけて観光したことがあるのだが、愛国駅はまだである。
 →2008年 幸福駅
愛国駅は幸福駅とともに「恋人の聖地」になっているらしい。


これで帯広の観光を終えて、次は層雲峡をめざす。国道241号線を走って行き、途中の「道の駅ピア21しほろ」に泊まった。


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