開聞岳に向かう途中で「知覧」という地名をみつけた。
昔、九州旅行をしたときに、行きたかったのに果たせなかったところである。
すばらしい武家屋敷と、太平洋戦争末期に特攻基地のあったところである。
知覧武家屋敷のたたずまい

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2003年8月10日

三角からは
286号線を走って、松橋ICから九州自動車道に入った。
高速道路終点の鹿児島ICには5時頃に着いた。
けっこう感動である。日本の高速道路は、北は青森から南はこの鹿児島まで続いているのだ。私は青森に住んでいたときにこの九州まで登山にやってきたのだが、そのときは霧島までであった。今回は終点の鹿児島ICまで走ったので、これで青森・鹿児島の全コースを走破したことになる。けっこう感動ではないか。
鹿児島からは指宿スカイラインに入った。有料道路であるが、少しでも時間を短縮したい。
この道には駐車場が所々に設けられていて、そこから錦江湾に浮かぶ桜島がを展望できる。もうだいぶ夕暮れが近づいているため、桜島は霞んで見えた。
それでも桜島はすごい。もうもうと煙をはき、どっしりと鹿児島の市街の向こうに聳えている。なにかしら九州という気がする。この景色にあこがれていたのだ。
指宿スカイラインを走って行くと「知覧IC」があった。
知覧といったら、太平洋戦争で神風特攻隊の基地があったところである。そして、すばらしい武家屋敷があるところでもあり、昔、私が周遊券で旅行していたころ、何としても行ってみたいと思っていたところである。
時間は5時半、せっかくここまで来たのだから、ともかく立ち寄ってみることにした。ICを出て15分ほど山の中の道を走る。こんな山の中に飛行場なんか設けることができるのかと不思議に思ったりした。
ようやく町の中に入って、すぐの武家屋敷の案内標識を見つけた。町営の駐車場に車を入れて、そこの受付に行ったら、もう閉めるところであった。
聞くと、受付は5時までなのだそうで、言われて自分の腕時計を見たら、時刻は6時になっていた。
ともかく車を停めさせてもらった。時間外だったので無料だった。(ラッキー…)
ビデオカメラだけを持って、武家屋敷の小路を行く。
知覧の武家屋敷は石垣が組まれているのが特徴でである。その石組みの街並みがすごい。一種独特の雰囲気がある。屋敷の11軒が城郭と同じということなのだろうか。
そして、知覧の武家屋敷のすごさは、その屋敷がすばらしい庭を有していることである。
石垣の塀があって、門がある。門を潜ると正面には衝立ての石垣があって、そこを過ぎるとその右か左に庭園がある。ともかくりっぱな庭である。植木の手入れも行き届いている。こうした公開されている庭園の11軒を訪ねるのはけっこう楽しい。私は6時から約40分で、ほとんど駆け足で見て廻った。もっとゆっくり見たかった。
知覧といったら、神風特攻隊の基地があったところである。その記念館があるので、行って見ることにした。もちろん、時間は7時近いので入館することはできないのだが…。
神風特攻隊というのは、今でいうなら自爆テロと同じである。
私は昭和25年生まれなので、戦争は知らない。書物で知るしかできないのだが、それでもその悲惨さは理解できる。
神風特攻隊、これほど人間性を無視した常軌を逸した攻撃方法ってあるだろうか。若者の命を、飛行機を操縦する一機械装置と見なすことによって、この攻撃は成立する。
そもそも、日本帝国の軍隊は人命を軽んじるところ甚だしい。その集積の上にこの神風攻撃は存在するのだと思う。
帝国陸軍の伝統というのは、葉隠れに見る「武士道」に起因するのかもしれない。
武士道とは死ぬことと見つけたりで、忠義のためには命を投げ出すことを善しとする。
帝国陸軍は長州藩が中核となっているのだが、長州というのは幕末においてはほとんど発狂した集団ではないかと思われるような行動をしている。たとえば、攘夷論である。当時の日本の兵器、火縄銃と日本刀で西洋の重火器に勝てるはずがないのだが、それをあえて攘夷を実行しようとする。その思想の中核にあるのが「神国日本」であり「大和魂」である。兵器、物量で劣っていると、それを精神で補おうとする。この伝統は太平洋戦争においても見事に引き継がれるのだ。
私は、この太平洋戦争の悲惨さを思うと、日露戦争で日本は勝つべきではなかったとすら思ってしまう。
大国ロシアを相手にして小国日本が勝利した。この成功体験によって、武器弾薬、兵数において劣っていても日本軍は「大和魂」で勝利することができるとしたのだ。
さらに帝国陸軍の必勝の作戦行動は、夜襲と白兵による突撃である。この無謀さは日露戦争における二百三高地の戦いでいかんなく発揮される。敵の陣地が重火器と厚いベトンで守られているのに、無謀な突撃を繰り返すのだ。ロシア兵に言わせると、どうして日本兵は確実に死ぬとわかっているのにやってくるのか、ということになる。
白兵突撃が効果をあげるのは、その行動があまりにも人命を無視した無謀な戦い方だからである。だれだって命は惜しい。その常識外の攻撃方法だからである。辛くも、二百三高地の戦いで日本は勝利することができた。この成功体験によって太平洋戦争でも白兵突撃は繰り返されるのである。この白兵突撃は、人命を軽視するところ、神風特攻とまったく同じである。
武士道とか大和魂とか、精神に重きを置くのはそれなりに大事かもしれない。しかし、戦争というのは徹底的な物量によってのみ、勝敗が決まるのだ。
愚かな指導者をトップにいただくと、これだけの悲惨な結果がもたらされるという教訓を私たちに与えてくれる。
とはいえ、神風特攻によって散っていった若者達に罪はなく、彼らの尊い犠牲の上に、今の日本の平和がある。
特攻というのは日本史のなかでの大きな悲劇であって、月並みな言い方ではあるが、この悲劇を二度と繰り返してはならないのだ。
駐車場に戻ってくると、西の空に真っ赤な太陽が山陰に沈もうとしていた。


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島原港を後にする


フェリーの中


普賢岳が遠くなる


フェリーから古い建物が見えた


天草五橋をくぐる





三角港


鹿児島IC


鹿児島市街の向こうに櫻島が見える


知覧武家屋敷


特攻記念館にて






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