北海道の旅 2011年 

大森海岸につくらた啄木小公園。ここには啄木の銅像といろんな歌碑があった。
まだ早朝なので、函館市街地にある土方歳三最期の地を訪ねた。(日中だと車が停めれない)
そして立待岬に行った。この日は車をここに置いて自転車で函館の観光をした。
立待岬には啄木に関わる歌碑が多いのだ。そして、すぐ近くには、啄木一族の墓もあるのだった。


 啄木小公園から土方歳三最期の地へ
啄木小公園


土方・啄木浪漫館


土方歳三最期の地

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2011730

函館の啄木小公園で夜が明けた。
この公園は津軽海峡に面した大森海岸にあって、啄木の銅像やたくさんの歌碑が並んでいるのだ。
啄木の銅像のむこうには函館山が横たわっている。
啄木の銅像の台座に刻まれているのは
 潮かをる 北の浜辺の 砂山の
 かの浜薔薇(はまなす)よ 今年も咲けるや

このほかに、西條八十が啄木にささげた詩碑もあった。
 眠れる君に捧ぐべき
 矢車草の花もなく
 ひとり佇む五月寒
 立待岬の波静か
 おもひでの砂ただひかる
この公園に隣接して「土方・啄木浪漫館」がある。
時間はまだ6時前、車が混み合う前に市街地にある「土方歳三最期の地」を訪ねることにした。これは函館駅の北東、若松緑地という公園の中にあるのだ。
ここには土方が銃弾に倒れたという一本木関も復元されていた。花がたくさん供えられた石碑に手をあわせた。
この公園には中島三郎助親子最期の地の石碑もあった。この人はどんな人なんだ…と思ってしまう。




 立待岬
立待岬


与謝野鉄幹・昌子の歌碑


歌碑から駐車場を振り返る


こんな歌碑もあった


函館市外を望む


車を走らせて、函館の南端にある海に突き出た立待岬に行った。ここに車を置いて、自転車で函館市街を走り回ろうと思う。

立待岬は津軽海峡を望む景勝地である。昔、ここから函館山に向かって登ったことを思い出した。
駐車場から右の細い道を上ると与謝野鉄幹・昌子の歌碑があった。
 濱菊を 郁雨が引きて 根に添ふる 
 立待岬の 岩かげの土  寛


 啄木の 草稿 岡田先生の 
 顔も忘れじ はこだてのこと  昌子

自転車を漕いでゆくと、宮崎一族の奥城(墓地なのか?)という石柱がたっていて、宮崎郁雨の歌碑と砂山影二の歌碑があった。宮崎郁雨は啄木の妹婿、砂山影二は函館の人で啄木の崇拝者。二十歳で青函連絡船から身を投じてしまった。
宮崎郁雨の碑

 蹣跚(まんさん)と 夜道をたどる 淋しさよ
 酒はひとりし  飲むものならず

砂山影二の歌碑
 
わがいのち この海峡の 浪の間に
 消ゆる日を想ふ    ――岬に立ちて

このすぐ下に啄木一族の墓があった。…とはいえ、啄木が函館に住んだのは明治405月から4ヶ月余りだけなのだ。
墓石には
 東海の 小島の磯の 白砂に
 われ泣きぬれて 蟹とたはむる

の歌が刻まれていた。この歌は函館の大森海岸を詠んだものとされるが、青森県下北半島の大間崎という説も有力である。
この墓地にはいろんな墓があって、その解説板を読んでいると時間を忘れてしまう。


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