豆島は瀬戸内海のたくさんの島々の中で、淡路島に次いで二番目に大きな島なのだ。二十四の瞳の舞台であり、温暖な気候でオリーブの島でもある。

オリーブ記念館→ギリシャ風車→オリーブの原木→醤の郷→マルキン醤油記念館→岬の分教場→二十四の瞳映画村→豆腐石→八人石丁場→南風台オリーブの原木→誓願寺の大ソテツ→大阪城残石資料館→銚子渓→土渕海峡→平和の群像


 オリーブ公園
オリーブナビ小豆島


オリーブ記念館


オリーブ発祥の地の碑


ギリシャ風車



BACK 洞雲山・碁石山

20071123

四国の登山は昨日ですべて終了したのだが、せっかく小豆島にいるのだから、今日一日は観光にあてようと思う。
昨夜は「道の駅オリーブ公園」に泊まったつもりでいたのだが、道の駅は少し山側に上ったところにあるのだ。でも、目の前にはオリーブビーチという砂浜が広がっていて、瀬戸内海の青い海が輝いている。この駐車場には「オリーブナビ小豆島」という三角の建物があって、中に入ると小豆島のオリーブの歴史を解説した展示がある。ここで、少し知識を仕入れて、それから道の駅に向かった。
道の駅はその名前の通り、オリーブ公園の中にある。今朝はこの公園を散策することから始めようと思う。
駐車場から少し上ると、オリーブ記念館がある。中に入るとオリーブの女神アテナ像が迎えてくれて、オリーブのすべてがわかるという展示がある。ギリシャ彫像がたくさん並んでいて、ギリシャにやってきた気分である。
この公園にはオリーブ園が隣接しているのだが、ここがオリーブ発祥の地なのである。
明治21年、当時の農商務省がアメリカからオリーブの苗木を輸入して、鹿児島・三重・香川の三県に植えたのだが、そのうちの小豆島だけが根付くことができたのである。
オリーブ発祥の地の記念碑をみて、それからハーブ畑に行った。でも、今は11月も末なので、ハーブ園はさみしい状態にあった。さらに遊歩道を歩いてギリシャ風車の広場に行った。風車といったらオランダの風車が一般的なのだが、ギリシャ風車というのは、なにかしらすごく趣のある形をしているのだ。ここからは瀬戸内海の青い海を観ることができる。風車を見上げると真っ青な空が広がっていて、本当に地中海にいるようである。
ここから「日本最初に実ったオリーブ園」という標識のあるゲートをくぐって、オリーブ園の中に入って行く。
オリーブの濃い緑の中を歩いて行くと、小豆島オリーブの原木という標識がたっていた。どの木がそうなんだと探してしまったが、どうも1本だけをさしているのではないようだ。この付近のオリーブが原木なのだろうと思う。オリーブの林の中をのんびり散策した。オリーブの葉は独特な緑色で、なにかしらすごく心地よいのだ。オリーブ園からギリシャ風車と瀬戸内海を見下ろすと、本当に地中海にいるような気がしてくる。


 醤の郷
馬木散策路を行く


石井平治醸造場跡


坂下醤油


正金醤油の角


キンダイ醤油


マルキン醤油



マルキン醤油直売店


オリーブ園の次は「醤(ひしお)の郷」を散策することにした。

醤というのは、塩を加えて発酵させた塩蔵品のことで、米や豆を発酵させた「穀醤」が醤油の原型だという。醤油・佃煮工場が軒を並べている草壁港の南の一帯を「醤の郷」と呼んでいるのだという。ここでは明治時代に建てられた醤油工場やもろみ蔵が今も現役で活動しているというので、観てまわることにしたのだ。
小豆島で醤油造りが始まったのは江戸時代、文化4年頃といわれ、今、大小20軒余りの醤油醸造会社があるのだ。また、この醤油を使った佃煮も盛んで、全国の30%を占めるというからすごい。

醤の郷の散策路はいくつかあるのだが、まず「馬木散策路」歩くことにした。
県道28号線のY字路で細い道を東に入る。駐車場があるはずなのだが見つからなくて、路肩に停めてしまった。駐車禁止の標識はないから大丈夫だろう。
民家の間に細い流れがあって、これに沿って歩いて行くと左にヤマサン醤油の蔵が見えた。小川に沿って板塀が続いていて、白い土蔵があったりしてすごくいい雰囲気である。
小川を渡って路地に入ると、すぐに正金醤油のもろみ蔵がある。あとで調べたら、この蔵は築120年で、醤の郷でもっとも古い蔵ということがわかった。見学して行くべきだったが、前を素通りしてしまった。
民家の路地から抜け出すと、左手に「石井平治醸造場跡」があった。山を背にして板張りの蔵が二棟たっている。現役のような気がするのだが、もう営業していないらしい。
ここから田んぼの中の田舎道を行くと、右にプレハブの工場のような建物が見えてきた。これが「坂下醤油」で、ここでは工場見学もできるというのだが、建物は本当にただの町工場のようで見学する気は起きなかった。
さらに歩いて行くと、右手には正金醤油のもろみ蔵があった。黒い板壁の蔵である。
道は緩やかな上りが続いて、土手の前で右折する。この土手の向こうは今坂池という灌漑池で、この土手に上がって見下ろすとすぐ下に煉瓦の煙突がたつ「山吉醤油跡」が一望できる。今は正金醤油になっているのだ。その向こうにはさっき歩いて来た町並みが広がっている。いい眺めである。
あとは田舎道をのんびり歩いて町のほうへ引き返して行く。町並みが近づき、正金醤油の蔵がたつ角で右折すると車の前に戻った。でも、まだ観てない金両醤油に向かった。流れに沿って西に歩いて行くと金大醤油の板壁の倉庫が続く。武家屋敷のような立派な門があって、白い土蔵が建っていた。
そこから少し行くと県道に出てしまったが、右に金両醤油直売場の広い駐車場があった。この工場直売所はもろみ蔵を改造したもので、中に入ってみた。

車で少し走ってマルキン醤油に行った。これから苗羽散策路を歩くのだ。
まずマルキン醤油の工場見学をした。入場料210円を払わなければいけなかった。工場見学というのは企業広告も兼ねているから無料というのがあたりまえなのに…と思ったら、入口でマルキン醤油のミニボトルをくれた。これで、210円の価値はあったかもしれない。(ついでに、ここでお土産に醤油を買ってしまった。)
マルキン醤油は明治20年の創業で、見学した「マルキン醤油記念館」は創立当時の蔵を利用したものなのだ。この建物と工場奥の天然もろみ発酵蔵は国の有形文化財に登録されているのである。工場の中の展示もおもしろくて、特に昔のポスターでは新珠三千代がCMタレントをしていたことを知った。この工場見学で、すっかりマルキン醤油のファンになってしまった。
醤油記念館から出て、長く連なる醤油蔵に沿って歩いてみた。板壁の蔵は本当に長く続いていて、その規模の大きさに驚いてしまう。
引き返して「黒島伝治文学碑」を見に行こうとしたが、道路工事中で、その入口がよくわからないので止めてしまった。
招集工場見学を終えて車を走らせて行くと、佃煮のお土産屋さんが軒を並べていて、「醤の郷」というのを実感した。



 二十四の瞳映画村
岬の分教場


映画村と岬の分教場を結ぶボンネットバス


映画村の中


次に向かったのは「二十四の瞳映画村」は、内海湾の南に堤防のように張り出した岬の先端にある。海辺の道を走って行くと、「岬の分教場」があったので寄って行く。この学校が二十四の瞳の舞台なのである。

明治35年に田浦尋常小学校として建てられ、明治43年からは苗羽小学校田浦分校として使用されたが、昭和46年に閉鎖されている。
切妻瓦葺の校舎は二つの教室があるだけで、それに教員の住居も付属している。中に入ると、本当に昔そのままの教室で、小さな木の椅子や机が並んでいる。そういえば、私が小学校に入ったときはこんな椅子や机だった…となにかしらすごく懐かしかった。二十四の瞳の映画の写真パネルも展示されていて、家に帰ったらもう一度、二十四の瞳の映画を観ようと思った。
校舎から出ると、目の前には真っ青な海が広がっていた。
岬の分教場から600mほど走ると映画村である。
この映画村は、昭和62年に田中裕子主演でリメークされた二十四の瞳のオープンセットを残したものなのだ。駐車場の入口には驚いたことにボンネットバスが停まっていた。このバスはここから岬の分教場を往復しているのだ。乗ればよかったと思った。
映画村の中には昔の家並みが再現されていて、さっきみた岬の分教場も復元されていた。
構内にはシネマの館や坪井栄文学館があって、けっこう楽しいのだ。広場には「せんせいあそぼ」という彫像群もあった。



 大阪城残石遺跡
豆腐岩の石切場


八人石丁場


八人石


誓願寺


大阪城残石資料館



映画村からは島の東海岸を走って行く。途中には大阪城残石があるので、それを観ようと思うのだ。

大阪冬の陣・夏の陣で大阪城は徹底的に破壊されてしまったのだが、二代将軍秀忠・三代将軍家光によって大規模な改築が行われたのだ。そのときに使われた石垣の石はこの小豆島から切り出されたのである。
小豆島には、山の上ではなくて採石しやすい山麓に良質の花崗岩がたくさん露出いていて、しかも重量のある石材の運搬には海上の方が都合がよかったのだ。

小豆島の東海岸には南谷丁場・天狗岩丁場・亀崎丁場などたくさんの石切場が残っているのだが、その代表的な豆腐岩に行った。鬱蒼とした樹林の中を登って行く。観光地らしからぬ荒れた道で、これでいいのかと思ったが、なんとか石切場に着いた。巨岩が真四角に切り出された跡が残っていた。
ここから少し車を走らせると八人石丁場がある。道の右下にあって、階段の遊歩道を下って行くと、高さ4mの二つに割れた巨石がある。この岩を割っているときに八人の石工が犠牲になったことから「八人石」というのだ。巨石の前には五輪の塔がたっている。江戸時代のものかと思ったら、昭和17年に採石に従事した人たちの供養のためにたてられたものであった。

八人石から引き返して、誓願寺の大ソテツをみに行った。
車を走らせて行くと、碁石山の岩峰が見える。あの山に登ったのかと思うと大満足である。途中、南風台という展望所から瀬戸内海を眺め、そしてオリーブ公園の先で左折すると誓願寺に着く。ここに茂る大ソテツは樹齢1000年以上で、何本ものソテツが茂っているように見えるのだが、実は1本の株から枝を伸ばしているのだ。国指定の天然記念物である。境内にはイマキの巨木も聳えていて、香川県の保存木という碑がたっていた。ちなみに誓願寺は小豆島霊場の31番札所でもある。

これで観光を止めようかとも思ったのだが、まだ15時を過ぎたばかりである。今日中に高松に戻ればいいのだから、暗くなるギリギリまで観光を続けることにした。
遠いのだが、「道の駅大阪城残石記念公園」に向かった。
さっきの東海岸の丁場で切り出された巨石は記念公園のところから大阪に向かって運び出されたのである。ところが、せっかく切り出された石だが、けっきょく積み出されず島に残されたものも多いのだ。それを集めて展示しているのが、この残石記念公園なのだ。
ここには大阪城残石記念館がある。けっこう大きな資料館なのだが、入場は無料である。
構内の広場には切り出された石が並んでいて、石を運んだ修羅や海でつかった筏も復元されている。



 銚子渓・土庄港
銚子渓


世界一狭い海峡




だいぶ日が暮れてきたのだが、最後に銚子渓を観に行った。山に向かって走って行くと、絶壁が屏風のように連なっている。そして深い渓谷、すばらしい眺めである。この渓谷がつくる銚子滝を観たかったのだが、滝の上に行くことはできたが、滝を眺めるところはなかった。残念である。


あとは、土庄港から高松行きのフェリーに乗るだけであるが、土庄の町にはギネスブック認定の世界一狭い海峡があるというので、これをみに行った。
これは土渕海峡といって、小豆島本島と前島の間の全長2.5kmの海峡なのである。最も狭いところは10m足らずで、まるで町の中を流れる小川か壕のようである。この海峡に沿って遊歩道がつくられていて、三つの橋がかかっている。私はこの海峡を二度も渡ってしまった。

フェリーに乗るために土庄港に向かったが、港のすぐ傍に「平和の群像」という二十四の瞳の大石先生と12人の子供のブロンズ像がある。小豆島といったら、観光パンフレットには必ずといっていいほどこの写真が使われるのだ。
最後にこの像を見に行った。昭和31年につくられたこのブロンズ像の前に立ったら、二十歳のころに小豆島に初めて来たときのことを思い出してしまった。

1730分発のフェリーに乗って、高松に戻った。


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