東の参道→入口御門→神楽殿→天流水社→雷電銅像→北の参道→堀重門→勅願殿→参拝所→本殿(拝殿)

諏訪大社とひとことで言っているが、この神社は全部で4つあるのだ。まず上社と下社があるのだが、上社には本宮と前宮があって、下社は春宮と秋宮のことである。諏訪大社が祀っているのは建御名方神(たけみなかたのかみとその妃神の八坂刀売神(やさかとめのかみ)なのだが、上社が男神で下社が女神といわれている。私が今回参拝したのは、上社の本宮である。


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2006年10月16日

明日は奥三界山に登る。カーナビで設定して車を走らせて行くと、途中に諏訪大社があったので見学してゆくことにした。

諏訪大社とひとことで言っているが、この神社は全部で4つあるのだ。まず上社と下社があるのだが、上社には本宮と前宮があって、下社は春宮と秋宮のことである。諏訪大社が祀っているのは建御名方神(たけみなかたのかみ)とその妃神の八坂刀売神(やさかとめのかみ)なのだが、上社が男神で下社が女神といわれている。
さて、今、私がいる諏訪大社はどれだと案内板をみたら、上社の本宮であった。本宮というのだから一番中核なのだろうということにして、参拝に出かけた。
諏訪大社といったら、奇祭「御柱祭り」である。これは社殿の立替のとき境内の四隅に「おんばしら」という大木を曳き立てる祭りなのだ。おんばしらには樅の木が使われるのだが、この上社では八ヶ岳山麓で用木の選定をするのだ。そして、八ヶ岳から25kmほどの距離を、車もコロも使わずに人力だけで曳いてくるのである。急な坂を曳き落としたり、川を渡らせたりで、けが人が出ないのが不思議といった荒々しい祭りである。私は長野県松本に5年間住んでいたのだが、残念ながらこの祭りを見たことはない。
私が今いるのは東の参道である。
大きな石の鳥居をくぐって境内に入ると、参道のすぐ先には回廊の入口があった。諏訪大社の参道は屋根のある回廊なのだ。この入口も立派な建物で「入口御門」という。文政12年(1830)に諏訪大社の宮大工が建てたものである。
回廊を歩いて行く。右は一段低くなっていて広場がある。左にはい遥拝所・大国主社・勅使門などの建物が連なっているのだ。
右下の広場に神楽殿が見えたので、回廊から下ってその前にたった。神楽殿は文政10年(1828)に建てられたもので、中には大きな太鼓が置かれていた。この太鼓は元旦の朝だけ打たれるのだそうだ。
振り返ると回廊に上がる石段の横に御堂があるのに気がついた。天流水舎といって、どんな晴天でも屋根の穴から雫が三滴はしたたるという。この水は雨乞いにご利益があるという。
神楽殿のそばにはお相撲さんの銅像があった。江戸時代の名力士、雷電為右衛門の像であった。雷電は信州の東部町に生まれたのだ。
その先は北参道が横切っている。左折してこの参道を行き、石段を上ると塀重門である。門をくぐると本殿の広場なのだ。
正面には樹林の山があって、これが神体山である。本殿は左である。遥拝門があって、ここから本殿のたつ斎庭を見ることができる。
本殿は3つの建物からなる。真ん中が拝殿、その後に幣殿がある、拝殿の左右には右片拝殿・左片拝殿が連なっている。これらはいずれも国の重要文化財に指定されている。
大急ぎで参拝したのだが、本殿から回廊に戻るころには夕暮れが迫っていた。
東の参道に戻る途中で御柱をみた。太い柱が天に向かってそびえていた。これを八ヶ岳山麓から運んできたのかと、感心してしまった。



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東参道入口


入口御門


神楽殿


神楽殿から回廊を振り返る


本社境内の入口


二之御柱





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