北海道の旅 2011年 


釧路から帯広に向かって車を走らせる。
私は釧路に住んでいたときから、白糠という町にはけっこう興味があったのだ。
今回の旅では、思いつくままに寄り道することにしているので、これを機会に白糠の史跡をめぐってみた。
それにしても、石炭岬の上にある公園から眺める太平洋はすばらしくきれいであった。



 大楽毛
大楽毛駅前の馬の銅像


大楽毛5丁目の交叉点

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2011年7月5日

釧路から帯広に向かって車を走らせる。

途中、大楽毛駅に寄った。駅はモダンな感じであるが、工事の真っ最中であった。
駅前には馬の銅像が置かれている。これが見たかったのだ。
大楽毛は、戦前は軍馬の産地としてずいぶん栄えていたのだ。銅像は「日本釧路種馬像」である。サラブレッドに比べたらズングリムックリで不恰好なのだが、農耕馬や軍馬ということなら頑健さが一番重要なので、これでいいのかもしれない。



 白糠
岬の森総合案内センター


望洋の碑


白糠の歌人小助川濱雄の歌碑


白糠運上屋跡の碑


白糠町が近づくと、白糠港があった。このあたりが石炭岬で、安政(
185460)の頃には石炭採掘が行われていたのだ。岬の山の斜面に「北海道石炭採掘創始の碑」があるというので、白糠港に」車を停めて、必死で探してしまった。
白糠市街から「岬の森東山公園」に向かった。石炭岬の丘の上に公園がつくられているのだ。急な坂道が続き、しかも道は狭い。けっこう緊張して運転しなければいけなかった。車道終点は展望の広場があって、正面には「望洋の碑」が高くそびえ立っていた。
望洋の碑の左、一段上がったところに石碑が立っている。白糠出身の歌人、小助川濱雄の歌碑であった。
この広場からは太平洋を展望できる。下には白糠港があって、海岸線がずうっと続いている。白糠市街地も見えた。すばらしい眺めだ。

山から下って、白糠の公民館に行った。ここには「白糠運上屋跡碑」があるので見にいったのだ。江戸時代、蝦夷地を統括したのは松前藩なのだが、幕藩体制の基礎である米の生産ができないため、アイヌとの交易による収入をあてたのだ。交易の場所は藩士ごとに割り当てられ、取引は商人にまかせて、そこから上がる収益を「運上金」として納めさせたのだ。この商人には悪徳が多くて、アイヌから徹底的に搾取したのだ。アイヌの歴史は悲惨としかいいようがない。その跡を見ておきたかったのだ。
ここから少し行くと「厳島神社」がある。コンクリートづくりでほとんどありがたみを感じないのだが、この前に「原半左衛門縁の地碑」がある。この人は八王子千人同心の組頭であったが、幕府から蝦夷地移住の許可を得て、寛政12年(1800)にこの白糠に入植したのだ。でも、寒冷に勝てず、3年半で挫折、撤退することになる。北海道では、そんな開拓の挫折が繰り返されたのだ。


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