小木港→蓮華峰寺→真野御陵→佐渡国分寺→妙宣寺→佐渡金山→尖閣湾

佐渡は日本海に浮かぶ日本一大きな島である。ほとんど僻遠の地といっていいのだが、なぜかしら古い雅びた文化が残っている。それはこの島が古来から遠流の地だったからで、王朝文化や中世武家文化、佐渡金山の隆盛による江戸文化が入り込み伝えられているからなのだ。自然の魅力もいっぱいなのだが、私はこうした古い文化にふれたくて佐渡を走ってみた。


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佐渡に渡るのだが、車をどうするかが問題だ。タダで停めておけるところはないか探してみることにした。カーナビでフェリー乗り場の近くの公園を探したら2つあった。そのうちの一つがフェリー乗り場から600mほどで近い。ここは平和記念公園で展示室もあるのだ。その展示室の前に駐車場があのだが、川の土手がすぐそばにあって、そこに釣をする人が車を停めている。2日間、駐車することになるので、この土手の横に停めることにした。
ザックと靴、寝袋を持ってフェリー乗り場に行った。
出航は940分である。1145分に切符を買いに行ったら、乗船は15分前だという。ずいぶん長い間待たされることになった。
フェリーは定刻に出航した。
甲板から遠ざかる直江津港を眺めると昨日登った米山が聳えていて、陸が遠くなっても米山だけがいつまでも見えていた。

佐渡の小木港に着いたのは1220分。改札の横に佐渡汽船の観光案内所があって、そこでレンタカーの手続きをした。
今回借りたレンタカーはマニュアル車なのだ。ずうっとオートマチックに乗っていたので、かなり心配である。
クラッチを踏んでギアを変えるという作業はけっこうめんどうくさい。昔はこれを平気で運転していたのに、人間はすぐに便利なものに慣れてしまって、それがあたりまえになってしまう。ぎこちなくはあるが、なんとか車を発進させた。
佐渡に来たら、なんといっても佐渡金山を見なければいけない。金山に向かって車を走らる途中で、適当に寄り道をするつもりである。

小木港から5分ほど走ると蓮華峰寺の案内をみつけた。弘法大師の創建した寺で、境内にはたくさんの重要文化財の建物がある。立ち寄ることにした。
四国遍路をして以来、弘法大師のお寺にはつい立ち寄ってしまいたくなるのだ。
地蔵堂の横を通って細い道を下って行く。右に仁王門がある。この仁王像は重要文化財なのだが、それほどりっぱなものには見えなかった。この仁王門はくぐらずにその前を左折して下って行くと唐門がある。シンプルな門である。この唐門から右折して、正面に立つ金堂に向かう。石段を登った上にある金堂は大きくてすばらしくりっぱなもので、さすが重要文化財の重みがある。
この金堂の左には茅葺の古ぼけた神社があった。でも、なにかしら趣きのあるたたずまいで、標識をみたら重要文化財の小比叡神社だった。この神社の前から細い参道が山側に続き、途中には厳密堂と弘法堂がある。弘法堂とその前にかかる石橋は重要文化財である。弘法堂は長い石段の上、林の中にひっそりと建っていた。
さらに参道を登ると大きな堂が見えてきた。その手前に「重要文化財骨堂」という案内があったので、この大きな御堂のことかと思ったが違っていた。大きな御堂の右に小さな茅葺の御堂がある。それが骨堂なのである。そういわれればたしかに趣きがある建物である。
大きな御堂は八祖堂という。これもすばらしい建物で、やはり重要文化財。
八祖堂の右手に御霊屋がある。覆い堂がかけられているのだが、なぜか徳川家の御霊屋である。手の込んだ彫刻が施されたものであった。
鐘楼もあって、その前には青銅の弘法大師像がたっている。四国の遍路を思い出してしまった。
境内から出ところには梵字の石碑が並んでいる。それは三十三観音の梵字であった。
けっこう見ごたえのあるお寺であった。しかも、拝観料など払うことなく。

国道350号線を真野を目指して走って行く。ギアシフトに慣れてくると、なにかしら本当に車を運転しているという不思議な満足感が沸いてくる。
真野の町に入る手前に真野御陵の案内を見つけた。立ち寄ることにする。
この佐渡というのは流刑の地で、多くの有名人が流されているのだ。この御陵は承久の変で流された順徳天皇のものである。承久の変というのは源頼朝なきあとの鎌倉政権と天皇貴族との政権争いである。この結果、時の天皇順徳帝は佐渡に流され、この地で生涯を終えたのだ。正式には火葬塚なのだが、今は宮内庁所管のりっぱな御陵になっている。
前で手を合わせた。

国道に戻って真野の町に入ると、国分寺・妙宣寺の案内があった。私は全国の国分寺をまわりたいとも思っているので、国分寺の案内があると必ず立ち寄ってしまうのだ。
どんどん山の中に入って行く。本当にこの道で大丈夫なのかと心配になるころに国分寺跡の標識があった。草茫々の原っぱの中に「史跡佐渡国分寺跡」と刻まれた石柱がたっている。南大門・中門・金堂などのプレートが設けられているのだが、ほんの少しの礎石が残っているだけである。
ここから少し行くと国分寺があった。寺の山門の前には、秋葉大権現とか月山湯殿神社などと刻まれた石碑がいくつもたっている。不思議な雰囲気である。
石段を登ると、正面に茅葺の古いお堂、瑠璃堂が建っている。何かしら朽ち果たようなお堂である。参道を引き返すと、左にりっぱな新しい本堂があった。正面には国分寺とかかれた額が飾られていた。

次に向かったのは妙宣寺である。ここにはりっぱな五重塔があるのだ。
茅葺の山門をくぐって境内に入るとすぐ右に五重塔がたっている。この五重塔は日光東照宮の五重塔を模したものなのだそうだ。この先の楼門をくぐると広い境内で、正面に本堂、右に庫裡がある。庫裡の前には池があって、白いハスの花が咲いていた。
楼門に引き返すと、その左横には日野資朝の墓があった。
日野資朝は鎌倉末期の公卿で後醍醐天皇の倒幕計画に参画して、結局敗れて佐渡に流されたのだ。その7年後、再度後醍醐天皇が倒幕にたったとき危険ということで殺されてしまったのだ。その墓がこれである。
もう一度、五重塔の前を通る。りっぱな塔だと思う。何枚も写真を撮ってしまった。


あとはひたすら車を走らせて佐渡金山に向かった。
佐渡金山は慶長6年(1601年)の開山というから関が原の合戦の翌年のことである。ここで産出した金で小判などの貨幣が作られ、徳川300年の財政を支えたのだ。
佐渡金山の鉱脈は驚くほどの規模のもので、東西3km、南北600m、深さは800mにも及ぶのだ。そして掘られた坑道の長さは400kmというからすさまじい。
車が佐渡金山に近づくと行く手に真っ二つに割れた山が見えてくる。これは「道遊の割戸」といって、金鉱脈を掘り下げたことによってできたものなのだ。
入場料を払って中に入ると、坑道の中をめぐることになる。
その要所要所には電気仕掛け人形があって、昔の採掘の様子を再現している。
金山の労働はすさまじく過激なもので、鉱夫の平均寿命はすごく短かったらしい。江戸時代には無宿人や犯罪者がこの佐渡に送られたのだ。でも、無宿人狩で佐渡に送られた数は意外とすくないのだそうだ。ともかく、金山の勉強ができた。
佐渡金山をの見学を終えたのは3時半である。

車を走らせて行くと、復元された佐渡奉行所があった。中に入らず、外からたたずまいだけ見学した。


さて、あとは風景だけみるつもりで尖閣湾に向かった。
尖閣湾では奇岩を眺めることができる。
着いたら4時を過ぎていた。
驚いたことに、尖閣湾を眺めるためには入場料を払って中に入らなければいけないのだ。海中透視船の乗船もセットで1000円であった。せっかく来たので乗船セットで見学することにした。
415分船が出るというので、まず乗船場に急いだ。
15分ほどの遊覧であったが、これは楽しかった。船底の透視窓から海の底が見えて、たくさんの魚が泳いでいる。そして急に岩礁が迫ったりする。船底がぶつかってしまうのではないかと、かなり怖かった。
景色もすばらしい。奇岩の連なる絶壁を眺めて船はめぐるのだが、その展望は第1景から第5景まであるのだ。楽しい15分であった。
下船して園地の中をめぐる。ここは「君の名は」の映画ロケ地でもあり、その記念碑があったりする。展望台から眺める尖閣湾の断崖は絶景である。
いつのまにか観光客は私一人になっていた。ここを出たのは445分、もう薄暗くなっていた。
あとは金北山の登山口に向かって車を走らせる。両津を目指して行くと途中で真っ暗になった。
両津からは山に向かって登ってゆく。すごく急な道でギアはLOWでないと上がれなかった。峠に着いたが、真っ暗な中で登山口が見つからなくて困った。登山口はドンデン荘からかなり下ったところにあるのだった。登山口に車を停めたのは8時半を過ぎである。


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直江津港の佐渡汽船乗り場


フェリーから佐渡島


蓮華峰寺入口の地蔵尊


蓮華峰寺境内


厳密堂


無明橋


真野御陵への道


佐渡国分寺跡


国分寺瑠璃堂


妙宣寺仁王門


妙宣寺山門


佐渡金山の駐車場


金山宗太夫坑



遊覧船


尖閣湾の灯台






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