山の斜面に水平につけられた道を東に歩いて行く。振り返ると、山の斜面に千光寺の伽藍が見えた。尾道は本当にお寺の町だと思ってしまうのだ。
左折して、西国寺に向かって上って行く。この坂の上りはきつくて長い。大きな門が見えてきて、門の両側には大きな草鞋が下げられていた。この門は安土桃山時代の仁王門である。
西国寺は天平年間(729〜749)に行基が開いたといわれ、かつては西国一の大寺だったのだ。この寺は何度か火災にあっているのだが、今の伽藍は至徳3年(1386)から60年ほどかけて順次再建されたのだ。
仁王門をくぐったらすぐに境内かと思ったら大間違いで、さらに朱の灯明が並ぶ108段の石段を上らなければいけないのだ。参道の両側には持善院とか金剛院などの僧院が並んでいて、西国一の大寺というのがうまずける。
行く手を仰ぎ見ると、緑の山の斜面に堂塔の屋根がいくつも見える。特に朱の塔がきれいであった。
広い境内に入ると正面に朱塗りの本堂がある。よくみたら本堂ではなくて「金堂」とかかれていた。至徳3年(1386)に備後国の守護大名山名氏によって建立されたもので、重要文化財に指定されている。金堂の右の石段を上って、毘沙門堂・大師堂のたつ広場に着く。三重の塔は毘沙門堂の右の渡り廊下の下をくぐる。石段を上って、右に曲がって行くと、正面に三重の塔が迫ってきた。三重の塔は鉄柵で囲われていて、すぐ下まで行くことはできないのだが、赤く塗られたきれいな塔であった。この美しい塔は永享元年(1429)に足利義教によって建てられたもので、重要文化財に指定されている。
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