北海道の旅 2011年 


北海道を旅していると、廃線跡に出会うことは多いのだ。幸福の駅があった広尾線もそうだし、道北の天北線もそうである。そして、私が今紹介しようとしているのは1987年に廃線になった士幌線である。
糠平湖の湖岸に沿って士幌線は続いていたのだが、湖に流れ込む沢を渡るために多くの橋梁がかけられた。それがきれいなアーチ橋で、廃線になってもほとんどが残っているのだ。
このアーチ橋をめぐるために遊歩道も設けられているので、歩いてみることにした。


 音更山道記念碑
音更山道の石碑


殉職碑

BACK ナイタイ高原牧場

2011年7月6日

ナイタイ牧場から国道に戻って、さらに車を走らせると、糠平発電所のすぐ先に古い石碑を見つけた。
石碑には「音更山道」と刻まれている。

糠平街道は、大正7年に十勝監獄の囚人達によって完成したもので、当時は音更山道と呼ばれていたのだ。すさまじい難工事であったが、囚人たち延べ6000人を酷使して3ヶ月で完成させたという。傍には「殉職碑」もたっていた。
北海道の開拓の歴史というのは、けっこう悲惨なことが多いのだ。



 上士幌町鉄道資料館
上士幌町鉄道資料館


資料館敷地内の軌道



糠平温泉街に入ったところで、まず糠平湖をみに行った。湖畔園地があって、ここではキャンプもできるのだ。

糠平湖は自然のものではなくて、昭和30年のダム建設によってできたものなのだ。
このすぐ近くにある「上士幌町鉄道資料館」に行った。入館料は100円である。
鉄道資料館にはなんどか訪れているのだが、前から一度行きたいところがあった。それは糠平湖畔に点在するアーチ橋めぐりである。

帯広から十勝平野を北上して十勝三股まで続く78.3kmの線路が旧士幌線である。残念ながら1987年に廃線となっている。この士幌線は糠平湖の湖畔を通っていたのだが、その鉄路に設けられた橋梁が今も残っているのである。
資料館で「ひがし大雪アーチ橋散策地図」をもらった。これでアーチ橋の場所がはっきりした。
地図を見て驚いたことがある。士幌線は糠平湖の東岸と西岸の両方についているのだ。士幌線って複線だったのか…とびっくりしたのだが、東岸の線路は旧線路で、糠平ダム建設によって水没することになったため、西岸に新線がつくられたのだ。

鉄道資料館の敷地内には線路が残っていて、この線路を利用して足漕ぎのトロッコの運用がされているのだった。そしてここを起点メトセップまで「北海道自然歩道・ひがし大雪の道」が整備されている。




 旧士幌線アーチ橋めぐり
五の沢橋梁


タウシュベツ川橋梁


鉄道資料館から「糠平川橋梁」にむかった。指導標がきちんと整備されていて、川に向かって下ってゆくとすぐに橋梁が見えてきた。川岸から見上げるアーチ橋はけっこう迫力があった。

次に「三の沢橋」を目指す。三の沢橋は国道に平行してあって、この橋梁を歩いて渡ることもできるのだ。
次の「五の沢橋梁」へはけっこう手間であった。沢に向かって急坂を下らなければいけない。深い林の中、沢の流れの向こうにアーチ橋が見えた。
アーチ橋群のなかでもっとも有名なのは「タウシュベツ川橋梁」である。「展望広場まで180m」という指導標にしたがって、坂道を下る。展望台に到着すると、糠平湖の対岸に11ものアーチが連続する橋梁が見えた。今までみてきたアーチ橋は糠平ダムができた後の新線の橋梁であったが、タウシュベツ川橋梁は唯一、旧線のものなのだ。この橋は糠平湖の水位の変化によって見え隠れするという幻の橋といわれている。6月頃から沈み始めて10月頃には完全に水没するらしい。私がこうしてみることができたのはラッキーというわけだ。




 旧士幌線アーチ橋めぐり
幌加駅跡


第五音更川橋梁


遊歩道を歩いて行くと、「ミズナラの巨木」という説明板があった。私は巨木が大好きなのだ。
さらに樹林の中、線路跡に設けられた遊歩道を歩いて行くと、旧幌加駅の跡についた。この付近にだけ線路が残っていて、ホームも残っていた。付近には人家はまったくないのだから、鉄道営業はまったく成り立たないと思う。廃線になっても仕方がなかったのだ。
幌加駅から少し国道を行くと「第五音更川橋梁」が見えた。
これでアーチ橋めぐりは終了である。


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