細い道を南に向かうとすぐに道が舗装なって、ここで右折する。この通りが諸町である。
西に向かって走って行くと、村上医家資料館がある。中津藩の御殿医を務めた村上家の屋敷で、医療にかんする資料が展示されているのだ。外だけみて通過した。
すぐに白壁の土蔵群が見えてきた。「むろや醤油」といって、享保元年(1716)創業という300年を越える老舗なのだ。
少し先には蛭子宮があった。商家の家並みの間に武家屋敷のような門があって、これをくぐると狭い境内があった。二代目藩主の細川忠興公が創建したという神社で、今も多くの信仰を集めているらしい。
西に向かってしばらく走ると自性寺に着く。ここには大雅堂という、池大雅の作品展示館があるのだ。これは見ることにした。
池大雅は画家だと思っていたのだが、書の大家でもあったのだ。作品はふすまに作品を貼り付けたもので、これは本物なのか、コピーじゃないのか…と疑ってしまった。
隣に自性寺がある。この寺は奥平家の菩提寺で、本堂の横には奥平家の墓所があった。この寺にはカッパの墓があるというので探したが見つからない。お寺の人に訊いたら、境内からいったん出て、墓地に行かなければいけないのだ。墓石がいっぱい並んでいて、これは探すのは大変だと思ったが、意外と簡単に見つけることができた。大きな龕堂で、中に五輪塔が収まっていた。
墓地を散策していたら、中津三代目の藩主となった小笠原長勝公の墓もあった。りっぱな五輪塔なのだが、ひとつだけポツンとあるのだった。
墓地には異様に鮮やかな、朱色の彼岸花(曼珠沙華)が満開であった。白い曼珠沙華を初めてみた。
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