立田自然公園(細川ガラシャ墓・武蔵供養塔)→武蔵塚公園→岩戸の里公園→霊巌洞

私は宮本武蔵が好きである。ただし、吉川英治の小説の中の武蔵なのだが…。
武蔵は晩年をこの熊本で過ごし、死の直前に霊厳洞に篭って「五輪書」を書き上げているのだ。その武蔵の跡を巡りたいとずうっと思っていたのだが、この機会にその思いを果たすことにした。



 立田自然公園 武蔵塚公園
立田自然公園入り口


池に沿って歩いて行く


細川家御廟へ石段を上る


仰松軒


BACK 屋久島雲水峡


2006年52

鹿児島ではいろいろゴタゴタがあって、出発できたのは夜の10時頃であった。
明日は福江島に渡るつもりなので、長崎まで走らなければいけない。遠い。
疲れたこともあって、途中の道の駅で寝てしまった。

今日の福江島渡航はあきらめて、休養もかねて熊本の観光をすることにした。熊本の手前のファミレスで朝食をとりながら今日の予定を考えた。熊本は宮本武蔵の遺跡が多いのだ。私は宮本武蔵の大ファンなので、武蔵を中心に観光するつもりである。
最初に向かったのは「立田自然公園」。細川家の菩提寺太勝寺の跡である。ここには池を囲む庭園があって、その一郭に四つ御廟がある。初代細川藤孝夫妻と二代細川忠興夫妻の4つの墓なのだ。このうち忠興の妻が細川ガラシャである。明智光秀の娘で、ものすごい美人だったという。夫である忠興はどうしようもなく嫉妬深い男で、ガラシャには他の男は絶対に近づけないようにしていたという。だからこそ関が原前夜に石田三成に人質としてガラシャが捕らえられようとしたときは自決させているのだ。もちろんガラシャは切支丹であったから、自殺はできない。家臣に殺されるのだが、そのときもその家臣は忠興の命令で部屋に入ることはできずに、外から槍で突き刺すという手段をとっている。嫉妬深い夫をもった美人の悲劇としかいいようがない。ガラシャの廟に手をあわせた。
またこの境内には宮本武蔵の供養塔もあるのだ。私はこれを見るためにやってきたのだ。このお寺の座主の墓が並んでいて、そのなかの一つが武蔵の供養塔なのだ。でも、この供養塔がどれなのかよくわからなかった。




 武蔵塚公園
武蔵塚


次に向かったのが武蔵塚公園である。カーナビに登載されていなくて困ったのだが、なんとかたどり着くことができた。武蔵は甲冑をつけた立ち姿でここに葬られたのだそうだ。公園の奥には「新免武蔵居士石塔」がある。そして、両刀をもった武蔵の銅像もたっているのだ。武蔵は「五輪の書」という兵法の本を著しているのだが、独行道も有名である。世々の道にそむく事なしから始まる21か条の碑がたっていた。これは武蔵の自筆を写したものなのだ。

熊本市外街に戻って、島田美術館に向かった。ここには武蔵の肖像画や武蔵作の水墨画・彫刻が展示されているのだ。すごく細い道を走って、ようやくたどり着いたら、休館中であった。くやしい。




 岩戸の里公園
宮本武蔵先生所修練之処


霊巌洞に向かった。武蔵はこの岩窟に篭って五輪の書を書いたのである。山道を登って、それからいったん下る。狭い盆地の中を行き、再び山道を登ると公園がある。岩戸の里公園で広い駐車場があった。
この公園には宮本武蔵の坐像があった。白い石膏でつくったような稚拙な像である。また、宮本武蔵所修練碑もある。霊巌洞にはここから急な坂道を下るのだが、車でもいけそうなので、この細い道を車で下った。




 霊厳洞
武蔵塚公園の宮本武蔵像


霊巌洞


九州西国十四番札所霊巌禅寺が霊巌洞のある寺である。
霊巌洞に向かって境内にを歩いて行くと、五百羅漢像がある。本当に五百体あるみたいでけっこうすごい。

この奥に大きな岩窟があって、階段で登って岩窟の中に入る。この霊巌洞は格子の奥には岩戸観音が祀られているのだ。ここで武蔵が五輪の書を書いたのかと思うと、感動してしまう。五輪の書は、地・水・火・風・空の五つの巻からなる。私は高校生のときにアルバイトで手にしたお金で吉川英治の宮本武蔵の小説を買い、それに感動してついには五輪の書まで買って読んだのだ。五輪の書は武蔵が自分の生涯を振り返りながら「二天一流」の極意を記したもので、この書を完成させてすぐにその生涯を閉じるのだ。
岩窟の中で合掌した。


NEXT 熊本城

BACK 九州の旅





総合TOP My日本の山  My日本の道  日本の旅  自己紹介















SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送