厳島神社の歴史はすごく古い。
古くは島自体を神として崇めていたらしいのだが、推古天皇元年(593)に神社が建てられたのだ。今のような海に浮かぶ寝殿造りの社殿になったのは平清盛によってである。
久安2年(1146)、清盛は安芸の守に任じられたことによって瀬戸内海の制海権を手にし、莫大な利益をあげることになるのだ。この富によって勢力を拡大し、平家一門の繁栄が始まるのである。こうしたことから厳島神社を信仰するようになって、厳島神社と平家の結びつきは強くなって行くのだ。
神社の社殿は平安時代に造られたのだが、その後二度の火災に遭っていて、現在の本殿は元亀2年(1571)、客神殿は仁治2年(1241)に建てられたもので、この神社の建物のほとんどは国宝、重要文化財に指定されている。
神社の入口は本殿の左に伸びる回廊にある。受付から回廊を行くと、すぐ左に客社本殿がある。この前を真っ直ぐに進むと東回廊に突き当たって、これを右折して本殿に向かう。この水に浮かぶ回廊には灯籠が並んで、すごく美しい眺めなのだ。
祓殿に続く回廊から振り返ると、今歩いてきた回廊の上に五重塔を見ることができる。これがまたすばらしく絵になっているのだ。
本殿の前には舞台がしつらえてある。厳島神社は本殿・幣殿・拝殿・祓殿・舞台が一直線に並んでいて、その直線上の海に大鳥居があるのだ。舞台から大鳥居に向かって火焼前が伸びていてその先端に灯籠がたっている。
舞台から西回廊に向かう。
西回廊に突き当たって右折する。西回廊からは能舞台を見ることができる。この能舞台は江戸時代のもので、重要文化財に指定されている。ここでは春に桃花祭神能が演じられ、献茶祭では隔年交互に表千家・裏千家がお茶を点てて神前に献じるのだ。神社はすべて朱塗りと白壁なのだが、能舞台だけは地味な木肌のままである。でも、海に浮かぶ能舞台というのはなかなかのもので、これで能が演じられたらすばらしいのではないかと思ってしまう。
回廊の左側には天神社がある。でも、能舞台のように吹き通しになっていて、ご神体はどこにあるのだと思ってしまう。
西回廊の突き当たりの左には太鼓橋があった。
この反橋は重要な祭事のとき、勅使がこの橋を渡って神社に入ったのである。これも重要部下材なのだ。
右の回廊の先には能舞台がある。能舞台の前で左折して回廊を行くと出口である。
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