この町のことは車を走らせていて、道路標識を見て知った。
古い家並みが残っていて、この中を歩いていると昔にタイムスリップしたような気分になる。
そして、神武天皇が大和に向けて出航したのはこの地なのだ。だから、日本海軍発祥の地ということになる。


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昨夜は丹助岳の登山口でテントを張った。
ところが、深夜に風が強くなって、本当にテントが飛ばされそうになってきた。小雨も混じっている。仕方がないので、テントを撤収することにした。
真っ暗闇の中のテント撤収はけっこう大変である。ともかく畳んでしまって、車の中にほうりこんだ。
朝になったら風雨も止むかと期待していたのだが、夜が明けても空はどんよりとした厚い雲で、風の勢いも衰えない。仕方がないので、今日の登山は止めて、このまま宮崎に向かうことにした。
太平洋に出ると海岸線の道である。
気持ちよく走って行くと、スーパー銭湯があった。
今日は山に登るつもりがないので、このお風呂でのんびりしてしまうことにした。
480円であったが、中は広くていろんな風呂がある。2時間近くいてしまった。
宮崎に向かって走って行くと美々津という町があって、そこに街並み保存区域という案内板をみた。今日は何もすることがないので、立ち寄ることにした。
駐車場がよくわからなかったが、金光教の教会に駐車場があって、そこに自由にお使いくださいとあったので、ここに停めることにした。

この街並みはけっこうすごい。
ただし、新しい。これは、民家を最近になってむりやり改装してしまったのではないかと思ってしまった。今も工事中の建物があった。
資料館に入った。
この資料館は、江戸時代に海運で財を成した廻船問屋「河内屋」という豪商の家なのだ。
中に入ったら、受付の人が親切に案内してくれた。家の造りは京都の町屋を模している。
中二階もあって、そこにも登ってみた。案内の人によると、江戸時代の町民は二階造りが許されなかったので、こんな中二階造りにしたのだそうだ。
この案内の人のガイドで初めて知ったのだが、この美々津は神武天皇が、大和にむけて出航した港なのだそうだ。これは見て行かなければいけない。
街並みをまっすぐに港に向かって歩いて行くと、左に神社がある。
ここに、神武天皇が出航のための指図をするために腰掛けたという、「腰掛け岩」があるのだ。神社の入り口に、大きなモニュメントが立っている。
これはいったい何なのだと思ったら、日本海軍発祥の地の記念碑なのだ。
神武天皇が、ここで船団を組織したのだから、それが日本最初の海軍というわけである。
けっこう感動してしまった。
私は古事記、日本書紀に書かれる神武天皇の話しは、信じるべきなにかがあるのではないかと思っている。邪馬台国は九州にあって、その勢力が大和に移ったと思う。それを伝承として伝えたのが、神武神話だと思うのだ。
九州から船出したのが、この美々津かどうかはわからないのだが、そうした史実があったのだろうと思うのだ。
そのためにも、今回、この美々津港に寄れたのはラッキーだった。

美々津を後にして、走って宮崎の街の中に入る。道には南国情緒いっぱいの椰子の木が植えられている。宮崎に来たという気がした。
明日は双石山に登る。この登山口に丸野駐車場がある。ものすごく広い駐車場である。
ここに車を停めて、寝た。


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すさまじい高度の「青雲橋」


美々津の町並み




民俗資料館内






共同井戸





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