師範学校付属小学校跡→乾門→野原櫓→十間廊下→一ノ門→筋鉄門→天守中庭→天守閣→艮門→太鼓門→二の丸史跡庭園

松山市街の真ん中に城山があって、市内のどこからも山の上に立つ城郭を眺めることができる。天守閣まではすごい急坂を登らなければいけないのだが、ロープウェイも通じていて、簡単に登ることができる。私はもちろん、西口から歩いて登った。


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3月16日

明日は高縄山に登るのだが、カーナビをセットすると松山市街を通る。時間の余裕もあるので、松山城を観光してゆくことにした。

松山城は加藤嘉明が関が原の戦いのあとで家康からこの地を与えられ、24年かけて築いた城である。
天守閣は標高132mの山の上に築かれているので、かなりきつい登りをしなければいけない。一般の観光客のためにはロープウェイがあるのだが、もちろん私は歩いて登るのだ。
南に登り口があるのだが、私は西側から登ることにした。歩兵第二十連隊の師団跡をみて、城山に沿って歩いて行くと石段があった。その登り口には愛媛県師範学校付属小学校跡の石碑があった。
石段を登って行く。深い樹林の中の登りで、道端には番号をふった小さな石柱がおかれていた。本丸が100番なのか五十番なのか。
ようやく稜線に着くと、目の前に石垣が聳えている、そのうえに櫓が見える。
最初にくぐったのは乾門である。正面には石垣の上左右に櫓が設けられている。左が北隅櫓、右が南隅櫓である。松山城の特徴は天守を高く聳えさせていないことである。
乾門から石段を登ると、右には黒い野原櫓があった。もちろん重要文化財である。
本丸の石垣を左から回りこんで行くと艮門と艮門東続櫓がある。門と櫓がつながった変わったつくりである。
天神櫓を眺めて、さらに本丸を回りこんで一の門に向かう。小天守と一の門櫓の間に天守が聳えていた。天守の下で右折して一ノ門をくぐる。
ようやく本丸の広場に出て。ここで天守の中に入った。
小天守に寄って、それから天守の最上階に登った。といっても、松山城の天守は三階建てなので、あまり登ることはない。天守からは松山市街の眺めがすばらしかった。
天守から出て、紫門から小天守と天守の眺めもなかなかのものである。
広場を南に向かう。観光客が多くて、坊ちゃんとマドンナのかっこうのひとが一緒に記念奢侈を撮るサービスをしていた。
本丸からは太鼓門をくぐって下って行く。樹林の中の長い石段をジグザグに下って、二の丸史跡庭園に着いた。入場料は100円なので入ってみた。庭園の上には本丸、天守が見えた。
最後に愛媛県立美術館に寄った。松山雪山展をしていた。松山藩おかかえの絵師なのだが、馬の絵が得意なのだそうだ。でも、常設展の絵画はすばらしかった。私には常設展のほうが見るべき絵が多かった。車に戻ったのは540分であった。


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城山登り口


天守広場に着く


天守閣


天守広場


二の丸史跡庭園の入り口





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