国東半島はなんというのだろう、不思議な魅力に満ち溢れている。平安時代には「六郷満山」といわれて、山にも谷にも寺院があふれていたのだそうだ。いたるところで、石仏・石塔を見ることができるのだ。

熊野磨崖仏→鍋山真崖仏→元宮磨崖仏→真木大堂→富貴寺→長安寺→天念寺川中不動→無動寺→両子寺



 熊野磨崖仏
熊野磨崖仏、不動明王


熊野磨崖仏、大日如来

BACK 行縢山


2月23日

ひたすら国東をめざす。

途中で温泉に入りたいのだが、なかなか見つからない。別府の市街を走っていったらスーパー銭湯を見つけて、おかげで別府の温泉に入ることができた。
ここで時間をかなりつぶして、再度走り出したのは10時を過ぎていた。今夜は熊野磨崖仏の駐車場で泊まるつもりだ。ところが、その道が全面通行止めになっていた。ものすごい遠回りをすることになった。今回九州のいろんな山の中を走ったのだが、かなり通行止め、工事中が多かった。昨年は史上最多の台風上陸があったわけで、その被害はこんなことにも現れているのだ。なんとか駐車場に着いた。空には月が出ていた。

224

朝、7時前に熊野磨崖仏に向かって登って行く。まだ薄暗い。
石段の道を登って行くのだが、かなり急である。
直前は自然石を積み上げたゴツゴツした階段になって、さらに傾斜が増し、これを越えてようやく磨崖仏の前に出る。
二つの大きな仏像が岩壁に刻まれている。
右の石仏は如来形をしているが、これは大日如来なのだ。そして左が不動明王である。不動明王というのは憤怒の形相もすさまじいのだが、この磨崖仏はなぜか愛敬のある顔なのだ。ともかくこの磨崖仏は国東を代表する史跡である。



 鍋山磨崖仏 元宮磨崖仏
鍋山磨崖仏


元宮磨崖仏


次は真木大堂に向かった。しかし、時間がまだ早いので、時間かせぎに付近の磨崖仏を廻ることにした。
まず、鍋山磨崖仏を見た。道路脇に車を停めて急な階段を上る。覆い堂の中に、かなり摩耗がすすんだ不動尊が立っていた。左右にはセイタカ童子、コンガラ童子の脇侍も刻まれている。
次に元宮磨崖仏をみた。そんなに大きなものではないのだが、不動明王を中心に右に毘沙門天とコンガラ童子、左には持国天などが刻まれている。ここには覆い堂がつくられていた。
次に訪れたのは大門坊磨崖仏。大門坊という寺院の境内に岩壁があって、そこに刻まれている磨崖仏である。

さらに集落の中の細い道を走って行くと、石塔がたっている。これにも立ち寄ることにした。
さらに細い道を少し行くと、大きな地蔵尊とか五輪の塔があって、その奥の岩壁に如来や毘沙門天が刻まれていた。ここの磨崖仏は覆い堂などはなかった。



 真木大堂


こうしてぐるりと周して真木大堂に戻ってきた。
時間は8時半になるところである。この頃雨になった。天気予報通りである。
お堂の扉が開かれたので、受付に行ったら入れてくれた。ここの仏像では本尊に阿弥陀如来、脇に大威徳明王。この中の大威徳明王が国の重要文化財である。かなり大きな像で、足が4本あって牛にまたがっている。顔は憤怒の形相で腕は6本。このような像は京都の東寺で見ることができる。しかし、この国東の地にこうした優れた仏教文化が開花するのは、なにかしら不思議な気がする。このあたりの寺院の多くは天台宗で、比叡山が本山ということになる。密教というには空海の真言密教が一番有名なのだが、天台宗にも密教はある。この国東では天台密教が多いのだ。その天台密教と修験道が結びついた形で、この国東の仏教文化は展開するのである。
修験道では、近くに求菩提山や英彦山もあるので、そうした文化圏に含まれるのかもしれない。

お堂の右手には本堂があるが、これは比較的新しいものなのだ。その中を見ると、須弥壇の前に扉があって、そこには赤く塗られた菊の紋が透かし彫りされていた。
裏庭には五輪の塔や庚申碑が集められている。
雨の中なのでのんびり見学するわけにもいかず、次の富貴寺に向かった。



 富貴寺
富貴寺山門


富貴寺阿弥陀堂


この富貴寺では国宝の阿弥陀堂が一番の見所なのだが、雨でこの阿弥陀堂の公開はしていなかった。阿弥陀堂を外から撮って帰るしかなかった。残念である。
この阿弥陀堂には阿弥陀来迎図の壁画があって、かなり摩耗してしまっているのだが、それがともかくすばらしいのだ。かなりの長い間、風雨にさらされていた時期があったらしい。(私は二十歳の頃、国東をめぐったことがあるのだが、このときは富貴寺を訪れる観光客はまったくなくて、阿弥陀堂は住職に申し入れて開けてもらい、拝観料も寸志でよかったのだ。住職は誇らしげ阿弥陀堂の壁画のことを解説してくれたことが懐かしい)
この後(2012年4月)のことになるのだが、大分県立歴史博物館を訪れたとき、富貴寺阿弥陀堂の内部が、鮮やかな彩色で復元されてるのを観た。これには感動してしまった。




 長安寺〜天念寺〜無動寺
長安寺境内


天念寺の前の川の中州にある不動明王


無動寺


無動寺の十六羅漢


次に向かったのは長安寺である。
この寺はかなりの山の上にあって、車で曲がりくねった道を登って行く。
雨のためか、拝観受付は閉まっていてインターフォンがあって、拝観希望者はボタンを押してくださいとなっていた。
ボタンを押して待つと、住職らしき人が鍵を持ってやってきて、収蔵庫の鍵をあけてくれた。中には太郎天という仏像があるのだ。彩色はまったくなくなっていて白木造りのようである。形は聖徳太子の童子姿ににているのだが、これは不動明王の変化したものだという。脇侍にコンガラ童子とセイタカ童子が立っている。
セイタカ童子が邪鬼のような顔をしていた。あと、ここで有名なのは法華経を刻んだ銅版である。黒く錆びてしまっているのだが、復元したものも展示してあって、それは金色に輝いていた。当初はこんなきらびやかなものだったのか。あとは鬼の面がいくつも飾られていた。塗装がはげてしまっていて、かなり古いものである。伎楽の面かと思ったらそうではなくて、この一帯では鬼会というものが行われるのだ。そのときに使われる面である。

次に向かった天念寺には、この鬼会の里という展示館がある。天念寺は道路沿いのふつうの民家のような寺であった。その前の川の中に大きな岩があって、不動明王が刻まれている。
そしてかんじんの鬼会の里なのだが、9時半から開館のはずなのに閉まったままで、結局拝観することはでいなかった。鬼会という行事のことを知りたかったのだが…。

次は無動寺に行った。
この寺の本堂には多くの仏像があるらしいのだが、国指定の重要文化財はないので、裏山にあるという十六羅漢を見に行った。寺の脇の細い道を登ると、急な山の斜面に羅漢像が並んでいた。



 両子寺
両子寺


両子寺の国東塔


雨がかなりひどくなってきた。なんか寒いし、早々に切り上げることにして、両子寺に行ってしまうことにした。もうこれで国東の観光は終わらせてしまうつもり。
両子寺では石像の不動明王像が有名なのだが、車で本尊の近くまで登ってしまったため、石段をかなり、下らなければいけなかった。
この石造りの仁王像は参道の石段の両脇にたつものである。神社でいったら狛犬のようなものなのだろうか。それとも東大寺の仁王門のようなもので、その門の建物がなくなった状態のものなのだろうか。国東の寺院ではこのような石造りの仁王が参道にたっているののが多いのだ。
両子寺を拝観したときは雨がかなり強くなって、かなり寒い。本堂からお堂も巡ったが、大きな国東塔が印象に残った。最近復興された  堂は、中に鮮やかに彩色された阿弥陀如来と四天王像があった。背後には壁画も描かれているのだが、細かに見るとかなり稚拙な絵の様に思えた。
これで、国東の観光は終える。本当はもっと見るべきところはあるのだが、雨でめんどうになってしまったのだ。
途中、長崎ちゃんぽんを食べて、フェリーターミナルに着いたのは17時半であった。ちょうどいい時間であった。こうして九州登山旅行は終わった。登った山は19である。

BACK 九州の旅







総合TOP My日本の山  My日本の道  日本の旅  自己紹介
















SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送