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旧千燈寺 |
旧千燈寺跡への入り口 鳥居をくぐると石畳道になった 奥の院・五輪塔群の分岐に立つ指導標 |
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BACK 豊後高田「昭和の町」 2011年10月3日 2005年に九州百名山を登る旅をしたときに、国東の寺巡りをしたのだが、このときは西側だけ巡って終わってしまった。今回はこのとき行けなかった残りの寺院をすべてめぐろうと思う。 |
旧千燈寺奥の院・五輪塔群 |
奥の院への急な石段 六所権現岩屋 |
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指導標の立つ分岐からは、まず、奥の院に向かった。行く手には急な石段が聳えていて、その上にお堂が見える。これが奥の院である。 木立の間に続く石段を上ってお堂の前に着く。お堂は岩壁に半分埋め込まれるようになっていて、中にはたくさんの石仏が並んでいた。 このお堂の右には六所権現の岩屋があった。 お堂から左に少し行くと、仁聞入寂の地という岩屋があった。この中もたくさんの石仏であった。仁聞というのはこの千燈寺を開山した人である。 ここから少し進むと展望が開けて、すさまじいばかりの岩壁の連なる山々を望むことができた。これは「両子火山群」で峰々で、この中でひときわ大きく聳えているのが千灯岳、標高605mである。 登りたくなってしまった。 |
五輪塔群 |
仁聞国東塔に着いた 千燈石仏 |
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お堂から引き返して急な石段を下り、指導標の立つ分岐から五輪塔群に向かった。 少し行くと「仁聞国東塔」があって、この周りにはたくさんの五輪塔が置かれていた。ここには「弘法堂跡」という案内板もたっていた。 この先にも、夥しい数の五輪塔があった。これが指導標の五輪塔群かとも思ったが、道は続いているので、さらに進むと仁聞の墓地に着いた。このあたりは苔むした五輪塔が累々としていて、国東というのは本当にすごいと思ってしまった。 引き返して行くと、途中に地主権現の石の祠があるのに気がついた。来るときは見逃していた。 ここから少し下ると奥の院との分岐であった。 県道に戻って、さらに山に向かって走って行くと、右にお堂があった。これが千燈石仏のお堂であった。幅1.5mほどの石にたくさんの仏が線描されていた。阿弥陀来迎図であるらしい。 |
岩戸寺 |
岩戸寺入り口 国東塔と講堂 |
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旧大聖寺跡・三十仏 |
旧大聖寺五輪塔群 三十仏の仁王像 |
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